901年1月25日、右大臣菅原道真を大宰権帥(だざいのごんのそつ)に左降する
宣命(せんみょう)が出されましたが、宇多法皇がそれを知ったのは数日後でした。
醍醐天皇に翻意を促そうと、法皇は慌てて内裏に駆けつけます。
しかし厳戒態勢の宮中には、どうしても立ち入る事ができませんでした。
木のかたわらでなすすべもなく立ち尽くす法皇。
その前にひれ伏すのは、蔵人頭(くろうどのとう)藤原菅根(すがね)です。
彼は道真の弟子ですが、天皇の即位前からの側近でもあり、
忠実な官房長官として職務をまっとうする道を選びました。
この直後、法皇の参内を妨げたとして、大宰府に左遷されますが、
あくまで形式上の措置であり、すぐ京官に復帰しています。