これは必見!(その37) 

37「北野天神縁起絵巻(承久本)」 (13)巻5「神霊化来」

時は901年の夏、所は比叡山延暦寺。
高僧・尊意(そんえ)の耳に、自室の扉を叩く音が響きました。
真夜中という時間帯を怪訝に思いながら扉を開けた途端、尊意は我が眼を疑いました。
訪問者は、今年の春に死んだはずの道真公。

しかしそこは良くしたもの、冷静を装って部屋の中に招き入れました。
まずは黙って相手の言い分を聞き出そうと試みたのです。
来客に取りあえず勧めたのは、旬にはまだ早いザクロの実。

「復讐にあたって、梵天と帝釈天の許可を得た。
 例え天皇からの命令であっても、私を阻止するような事はしないで欲しい」。

はっきりと宣戦布告の意思を聞かされた尊意は、明快なまでに拒否しました。

「そう言われましても、二度三度と出動要請があれば、断る事はできません」。

道真は激怒し、とっさにザクロをつかみ、
口に含んだかと思うと、種ごと吹き出しました。

種は炎となって燃え上がり、傍らの戸に引火します。
尊意も臆せず印を組み、指先から水を放ちます。

攻撃を簡単にかわされてしまい、道真は悔し紛れに姿を消しました。

同じ画面に異なる場面を描くことで時間の推移を示す異時同図法を採用した
承久本のこの場面は、個人的には大好きなシーンです。
優美な正装でドアを律儀にノックする姿が、
いかにも生真面目な彼らしいという印象を受けるのです。

怨霊の火炎放射に僧侶が放水攻撃で応戦する光景が面白い、という声も出そうですね。

道真展の歩き方(2) 

特別展の会場は、現在このような順番で構成されています。

 ・エントランス …観世音寺梵鐘・荏柄天神の雲中天神像
 ・第1室 …平安時代に関する文字史料
 ・第2室 …承久本・メトロポリタン本・松崎本などの天神縁起絵巻と遺品類
 ・VTRコーナー
 ・天神さま研究所
 ・第3室 …天神縁起の絵巻・屏風・掛幅
 ・第4室 …天神像・渡唐天神像・観音像・仏塔
 ・第5室 …お祭りで使っていた獅子頭や面・連歌懐紙・文楽人形・浮世絵
 ・第6室 …神輿

一番混雑するのは、展示の目玉となる絵巻が揃っている第2室です。
ここから見ようとすると、
朝9時30分の開館に合わせて入らない限り、行列になるでしょう。

そこで午後から入館した場合の効率的なモデルコースを紹介します。
特別展に行っていなかった地元の知人を案内するために
会場内で即座に考えたものですので、実証済みです。

まず手荷物は、鉛筆とメモ帳程度を残し、1階のコインロッカーに入れます。
衣類だけでしたら1階のクロークに預けます。
必要に応じて当日券を購入し、エスカレーターで特別展会場へ。

まず観世音寺の梵鐘荏柄天神の雲中天神像を見たら、
人の多いエリアを抜け、そのまま一気に第4室へ。
天神画像道明寺の十一面観音、御自作天満宮の天神座像や大興善寺の十一面観音、
渡唐天神像と、ひととおりじっくり眺めます。

そして歌舞伎や連歌に特別な関心のない限り、第5室はさらっと流しましょう。
芝居絵でもそんなにインパクトのあるものは出ていませんし、
文楽人形も普段から北野天満宮の宝物殿に展示されています。

この後第3室に戻り、扇面屏風と掛幅を見ます。
天神縁起の全体像を知らないと到底読み解けないので、見るだけで大丈夫です。

VTRは好きに応じて、または休憩目的で。
知人は元のテレビ番組を見ていたので、省略しました。

仲間同士で茶々を入れて楽しみたいなら、その足で隣接する天神さま研究所へ。
貼り出されている紙を読み出すと際限がないので、軽く眺めるだけにとどめ、
パソコンの上のホワイトボードや本棚等、web上では見られないものを見ておきます。

ここまで来て、いよいよ本題です。第1室に戻りましょう。
菅家文草菅家後集新撰万葉集和漢朗詠集を見ておきます。
基本的に文字(特に漢字)ばかりなので、予備知識がないと辛いかもしれません。

そしてお待ちかね、天神縁起絵巻尽くしの第2室です。
ガラスケース越しに革帯・笏(しゃく)・櫛・鏡といった遺品類を見ながら、
人が少なくなった頃合いを計り、行列に加わります。

承久本メトロポリタン本松崎本の3つを見ておきましょう。
非常に長々と展示されています。

これで一通り見終えた格好になります。
残りの時間を利用し、もう一度見ておきたいものにじっくり向き合いましょう。

最後に、博物館や美術館で使いたい、ちょっとしたテクニックを。
通常、閉館の30分前に入場受付が閉まります。
そのため、数分後には最初の方の部屋ががら空きになります。
残り時間が少ないので、どうしても見たいもの以外を先に見ておく必要はありますが、
絶えず行列のできていた承久本も、恐ろしくスムーズに見られますよ。

道真展の歩き方(1) 

11/22〜24の3連休は1日数千人が来場したそうで、26日に15万人を突破したとの話。
最終的には16〜17万人になる見込みです。見事に大盛況に終わりそうです。

しかしその反面、会場は少なからず混雑しています。
そこで今日から2日連続でお送りするのは、「会期終了間際における道真展の歩き方」。

まず事前に用意して頂きたいのが、作品目録と充分な時間。

もともと作品目録は会場内に山積みになっていましたが、見事にはけてしまいました。
そこで九博のサイトでPDF版目録を印刷しておきましょう。
ノンブルを見ると10ページあるように見えますが、実際は5ページです。
途中で切れているわけではありませんので、ご安心を。

ちなみに紙版ではデザインが異なり、4ページで構成されています。
最初のページは表紙なので、目録部分は実質3ページです。

紙の作品目録


そして観覧に要する時間ですが、

 ・特別展のみ  … 2時間(混んでいなくても1時間では厳しいと思います)
 ・常設展も見る …+1時間(再訪やピンポイントの場合。腰を据えるなら2時間)
 ・売店やあじっぱにも寄る   …+0.5〜1時間
 ・グリーンハウスで食事    …+1.5時間(昼食時は満席になります)
 ・太宰府天満宮にもお参り   …+0.5〜1時間(普通は寄りますよね?)
 ・太宰府天満宮の宝物殿にも寄る…+0.5時間

と、オプションをつけることで簡単に半日、下手をすれば丸1日つぶれます。
そうなると、事前の取捨選択が非常に重要になってきます。
最低限の組み合わせは、「特別展+天満宮(+宝物殿)」の3〜4時間コースでしょう。

明日は特別展会場内を効率的に見て回るための順番についてです。

これは必見!(その36) 

37「北野天神縁起絵巻(承久本)」 (12)巻5「安楽寺葬送」

「遺骨は京都に送り返さないで欲しい」という遺言に従い、
道真の亡骸は大宰府の地に埋葬されることになりました。
しかし途中で遺体を載せた牛車が動かなくなってしまったため、
その場で荼毘に付されました。この場所が現在太宰府天満宮のある場所です。

生前、いくら故郷を慕っても、異郷の地に葬られるであろうことを
危惧していたはずの道真は、最期に自らその選択肢を選びました。

太宰府天満宮本殿裏手


神霊の魂を祀る場所が、同時に魄(肉体)を祀る、
霊廟と仏舎利(ぶっしゃり・釈迦の遺骨)を合わせ持つような天満宮安楽寺の歴史は、
祭神の一言から始まったのでした。

これは必見!(その35) 

37「北野天神縁起絵巻(承久本)」 (11)巻5「祈天拝山」

死を目前にして紀長谷雄に詩巻を託した巻4末尾から、少し時間は遡ります。
無実を天に訴えるべく、道真は大宰府郊外にある山へ登る事にしました。

自らしたためた祭文(さいもん)を山頂で掲げ、一心不乱に祈りを捧げていると、
祭文は虚空へ高く舞い上がりました。
梵天(ぼんてん)と帝釈天(たいしゃくてん)が彼の願いを聞き入れたのです。

天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)の名を与えられ、
道真は生きながら神となりました。
そして、この山は後に天拝山(てんぱいざん)と呼ばれるようになりました。

祈天拝山

(写真提供:九州国立博物館)


「軟禁状態に置かれた病弱の老人」という背景により、
この話はあくまでもフィクションたりえます。
しかし、道真の死後2世紀後にはすでに存在した話であったらしく、
院政期の学者・大江匡房(おおえのまさふさ)の
言談録『江談抄(ごうだんしょう)』に触れられています。

匡房は大宰権帥(高官の左遷用ポストではなく、実際に職務を遂行する権帥)として
現地に赴任した経験があり、詩文を読むと、
他にも天神縁起の母体となる話をいくつか知っていた事が伺えます。

ところが、その彼をしても、
現代日本人にとって最も有名なはずの飛梅の話は語られていないのです。
匡房より後に成立した天神縁起の、さらに後で生まれた話だから当然ではありますね。