これは必見!(その24) 

63「束帯天神像」(画面左)

常盤山文庫(ときわやまぶんこ)蔵。何と現存最古の束帯天神像です。
南北朝時代の1360年に製作されました。

笏(しゃく)を上から押さえ付け、眉をつり上げてやや上方をにらむ、
怒り天神の図です。ちょっとマンガチックな顔つきですね。

束帯天神像

(写真提供:九州国立博物館)


漢詩と和歌が2首ずつ書き込まれていますが、
上半分の漢詩1首・和歌1首が天神の神詠とされるものです。

まずは漢詩から。

昨(きのう)は北闕に悲しみを被(かぶ)る士となり
今は西都に恥を雪(そそ)ぐ尸(しかばね)と作(な)る
生きての怨み死しての喜び それ我をいかんせん
今はすべからく望み足りて皇基(こうき)を護(まも)るべし

少々長くなりますが、順を追って説明します。
903年に従二位(じゅにい)大宰権帥(だざいのごんのそち)で亡くなった後、
923年に醍醐天皇の命によって右大臣の地位を回復され、正二位を贈られました。

その後、993年になって、朝廷は
子孫である菅原幹正(もとまさ)を安楽寺(現在の太宰府天満宮)に派遣して
正一位(しょういちい)左大臣を追贈したのですが、
左遷につながる「左」という文字が故人のお気に召さなかったようで、
こんな漢詩を書いた紙が忽然として出現したと言います。

たちまちに驚く 朝使の荊棘(けいきょく)を排(ひら)くに
官品(かんぽん)高く加はりて排感(はいかん)成(な)る
仁恩(じんおん)の邃窟(すいくつ)に覃(おお)ふことを
 悦(よろこ)ぶといへども
ただ羞(は)づらくは存しても没しても左遷の名

(こんな田舎にまで恩恵が及んで官職を頂けるのはありがたいが、
 生前も死後も「左に遷(うつ)される」のはちょっと……、位の意味です。)

挙句の果て、安楽寺の巫女に道真の霊が乗り移って、
「左大臣の位など受けぬ!」と拒絶したので、
さらに太政大臣を贈ったところ、ようやく納得したのか、
巫女の口を通じて上記の七言絶句が得られたという次第です。

束帯天神

(写真提供:九州国立博物館)


45「筑後国北野天神縁起絵巻」巻下より、
正一位左大臣追贈のため安楽寺を訪れた菅原幹正。会期後半に展示されています。

そして和歌。

宵の間や都の内に澄みつらん 心尽くしの有明の月

こちらはとっさに元ネタが出てきませんでした。ごめんなさい。
おまじないの文句として、良く似た和歌が使われてはいるようですが……。

さて、今回、所蔵元として常盤山文庫の名前がしばしば見えますが、
これは菅原通済(みちなり)(1891〜1981 )という実業家の
コレクションを集めた施設です。
同姓のよしみか、父親の代から美術品として鑑賞に耐える
天神縁起・束帯天神像・渡唐天神像などを収集しており、
百貨店で展示を催したこともありました。

ただ、現在は防災上の観点から非公開となっており、
収蔵品は外部貸し出しの形でようやく見ることができます。

最近まとまった形で公開した機会は、
1998年に根津美術館で開かれた「天神さまの美術」ぐらいのものでしょうか。
(没後1100年記念の特別展と同じ題ですが、先行するものであり、全く別物です。)

あと2003年に常盤山文庫の創立60周年記念展がやはり根津美術館でありましたので、
こちらにも出ていた可能性は高いですね。

これは必見!(その23) 

46「天満宮縁起絵巻」

特別展開催に向けての準備中に、所蔵元である対馬の神社からから問合せがあり、
その存在が明らかになった天神縁起です。

おそらく論文にはなっていないので、新聞報道や図録解説を参考に説明しますと、
地元の話題を盛り込んだ、いわゆる「ご当地縁起」色が極めて強いものです。

「道真伝」「怨霊譚」「霊験譚」の3部からなる天神縁起の基本構成から霊験譚を省き、

「川面に姿を映して落魄した身の上を嘆く道真」 (←水鏡天神)
「麹(こうじ)米を食事にと道真に差し出す老女」(←梅ケ枝餅のルーツ)
「天拝山への道すがら、鉄斧を砥(と)いで針にしようとする老人に出会い、
 努力の重要性を思い知らされる道真」(←針摺峠(はりすりとうげ)の地名の由来)

など、地元福岡・太宰府ゆかりの話題を盛り込んでいます。

天満宮縁起絵巻

(写真提供:九州国立博物館)

※写真は前期のもので、綱敷天神と麹米です。後期は水鏡天神と恩賜の御衣。


類型化の容易な、従来の天神縁起とは明らかに異なるという印象を受けます。
太宰府天満宮蔵の元禄本「天満宮縁起」という文章のみの天神縁起をベースに
絵巻化したものとのことです。

図版でいいので、25段(←天神縁起は33段が基本なので、やっぱり異質です)
まとめて見てみたいですね。章段構成が非常に気になります。

これは必見!(その22) 

77「文字絵渡唐天神像」

本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)・松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)とセットで
「寛永(かんえい)の三筆」と称される能書家にして公家、
三藐院(さんみゃくいん)こと近衛信尹(このえのぶただ)(1565〜1614)の作です。
左下隅の筆を取り落としたような跡は、書き損じではなく作者のサインです。

文字絵渡唐天神像

(写真提供:九州国立博物館)


今回展示されるのは、1610年に描かれ、北野天満宮が所蔵するものですが、
同様の絵があまりに数多く存在するので、
「一家に一台」ならぬ「一社に一枚」あるのではないかと評された事もあります。

信尹には、豊臣秀吉の朝鮮半島出兵に賛同して肥前に出兵したことが原因で
後陽成天皇の逆鱗に触れて薩摩坊津(ぼうのつ)に配流された時期があり、
それが制作のバックボーンにあるとも言われています。

彼の渡唐天神像が他のものと大きく異なるのは、その図様にあります。
冠を「天」、衣を「神」の字で見立てた墨一色の文字絵になっています。
裏を返せば、こんなにシンプルな描線だからこそ、大量に描けたとも言えます。

上に書かれた文章は、
「唐衣(からころも)折らで北野の神とぞは 袖に持ちたる梅にても知れ」という、
天神が無準師範(ぶしゅんしばん)に対して詠んだとされる
渡唐天神説話につきものの和歌です。
この和歌に従い、渡唐天神は梅の枝を持った姿で描かれるのが基本ですが、
なぜか三藐院は枝を持たせていませんね。

文字絵の渡唐天神には、
臨済宗中興の祖、白隠慧鶴(はくいんえかく)(1686〜1769)による
「南無天満大自在天神」バージョンもあります。
こちらはちゃんと梅の枝を持っています。

これは必見!(その21) 

49「北野天神縁起扇面貼交屏風(きたのてんじんえんぎ せんめんはりまぜびょうぶ)」

道明寺天満宮蔵。
その名の通り、「北野天神の縁起を扇面に描いて貼り交ぜにした屏風」です。
縦5枚×6面×2つ=60枚の画面に、ごくごく短い説明文と対応する絵が描かれています。

北野天神縁起扇面貼交屏風

(写真提供:九州国立博物館)


通常、「扇面屏風」と呼ばれるものの多くは、
「扇に貼る紙の形に切った紙を貼りつけた」屏風です。
しかしこの屏風の扇面に画面にはくっきりと折り筋が残っており、
元々は扇に仕立てられたものを、屏風に仕立て直したことが分かります。

一見しただけでは60枚すべてが同じ時期に描かれたように見えますが、
一部色調が薄く白味を帯びたものがあり、
それらは後世に追加で制作されたもののようです。

現在は右上から左上へ読み進められるように並べられていますが、
以前は順番などお構いなくバラバラに貼られていました。
それを補修がてら天神縁起の順序に沿って貼り直したのは、つい数年前のこと。
あちらを見てこちらを見るという立ち位置の変更を繰り返した挙句に
腰を痛める心配がなくなったのは、本当にありがたい事です(笑)。

ちなみに、詞書と絵が一致しないものも存在します。
19枚目がまさにそれで、
合掌する貴族を描いた画面構成、
「恩賜の御衣」の後、「天拝山(てんぱいざん)」の前にある位置関係から、
道真から『菅家後集(かんかこうしゅう)』を贈られた紀長谷雄が、
天を仰いで嘆息するシーンである事は間違いないのですが、
「九月十五日に月を見て昔を偲ぶ」うんぬんと、異なる文章がついています。

天神縁起を読むと、長谷雄が贈られた詩のひとつとして、
9月13日に道真が詠んだ詩を引いているので、これを指しているようですね。

天神さま研究所(その2) 

もう1枚、小さいホワイトボードには、
チラシと特別展のイベントを記入したカレンダーが貼り出され、
余白に研究所職員の予定が書き込まれています。

よく見ると、これがなかなか遊んでいる箇所なのです。

職員の顔ぶれは、「松王丸」「梅王丸」「桜丸」。
彼らの今日の行動予定が書き込まれています。
『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』の3兄弟、
こぞって奉公先が没落したと思ったら、
こんなところで再就職してたんですか……(笑)。

車引の芝居絵

(写真提供:九州国立博物館)


『菅原伝授手習鑑』車引の芝居絵より、左から三男桜丸・長男梅王丸・次男松王丸。
梅王丸の背後に立つのは、左大臣藤原時平(しへい)です。

腰掛石の調査がどうのこうのというメモ書きを発見。
学芸員さんいわく、
「山陽道の菅公腰掛石をたどれば、
 通ったルートが分かるのではないかと思うんですが」とのこと。
山陽道の道真ゆかりの地を踏破したラジオパーソナリティ、
馬場章夫(ばんば ふみお)氏に聞いてみるのはいかがでしょう?

その下には、「道真の趣味は菊作り ←確定!」なる記述が。
実はコレ、当初はなくて後から追加された書き込みなんです。
道真さんが履歴書を書いたら、趣味の欄は「庭いじり」だと私も思いますが、
これを書いた人は、最初彼の白菊愛好癖を知らなかったのではないでしょうか。
会期途中で知ったとしたら、ひどくコアな情報を拾われたものです。

妙なマネキンが一体、奥のパソコンに向かっています。
首から下げたIDカードには「名誉所長」の文字。
紫の朝服(ちょうふく)なので、どう見ても彼は道真さん。
本職の所長ではないのに、毎日出勤しておられます。

天神さま研究所

(写真提供:九州国立博物館)


触っても良いとの事でしたので、
「この衣装どこから調達したのだろう?」と不思議がりながら、
ペタペタ存分に触ってまいりました。

等寸大だけに、「会期終わったら貰えないかな」と、不遜にも思う今日この頃です。
(いや、おそろしく場所取りますって……。)