天神さま研究所(その1) 

展示第1室の突き当たり、映像コーナーの奥にある白い空間が、
「天神さま研究所」。勝手に「ラボ」と呼んでいます。

室内の設備はパソコン3台、本棚2つ、ホワイトボードが大小合わせて3枚。

天神さま研究所

(写真提供:九州国立博物館)


パソコンでは古代の星空や太宰府天満宮の祭礼が動画で流れています。
本棚には『古事類苑(こじるいえん)』のような専門書から、
一般向けの軽い本まで。一部は手に取って読めるようになっています。
入れて欲しい本をいくつか挙げておきましたので、
反映されている可能性はあります。

大きいホワイトボードには、
一般から募集した天神社関係の投稿記事が貼り出されています。
開催前から募集していますが、掲示枚数は日々増えています。

ただ、素人さんが書いているので、
内容が薄かったり、明らかに間違えているものもあります。

「学芸員できちんと調べろよ!」という厳しい意見が
某掲示板で出ていましたが、確かにそれは言えてますね。
話題作りには充分なっていますが、
特別展を見る時の参考になるかと言えば……、難しいところ。

天神さま学習帳 

特別展会場で小学生に無料配布されているガイドブックがあります。
その名もズバリ「天神さま学習帳」(!)。

B5版フルカラー、全20頁。
表紙はジャポニカ学習帳のパロディー、
中身はスクラップを貼り込んだA罫大学ノート風です。

天神さま学習帳の表紙


道真の略歴・絵巻のトピック別解説・福岡県の天神社折り込みマップの3部構成。
絵巻のページはポップで面白いですよ〜。

「九博界隈」に登場した時点から密かに狙っていたところ、
内覧会で学芸員さんから頂いてしまいました。
もっとも、これは個人的な役得(誰彼構わず配ってる訳ではなかった)で、
部数に限りがあるので、原則として子供を連れて行かないと入手できません。

とは言うものの、実はコレ、大人にもすこぶる評判が良いのです。
300円程度で有料頒布しても、買い手がつくでしょう。
福岡市立博物館の時は、文字通りの「小」冊子でしたから……。

せめて「Asiage」のように、PDF版があれば喜ばれますね。
本音を言うと、著作権の問題さえクリアできれば、
絵巻ネタの部分をスキャナーに掛けて紹介したいくらいです。


(2009/4/14追記)
九博から送付されたのか、全国各地の県立図書館に現物があるようです。
また、国際子ども図書館(東京国立博物館の近所)にもあります。

現物をご覧になりたい方は、地元の図書館で取り寄せ(と館内閲覧)を
依頼してみてはいががでしょうか。

Asiageのギミック 

九博の季刊誌「Asiage(アジアージュ)」vol.10に、特別展特集があります。

この雑誌、PDF版もありますが、紙媒体でも無料で配布されています。
「神か怨霊か。畏れか親しみか。」ってキャッチコピー、格好良いですね。

そこで読者の方が入手した現物を頂いて、発見した事が。

Asiageの表紙


一見、表紙には「恩賜(おんし)の御衣(ぎょい)」のシーンが使われています。

しかし表紙を少し持ち上げてみると……?

Asiageの表紙アップ


問題の絵は、表紙ではなくその下(3頁目)に印刷されていました。

最初にPDF版で見た時、なぜ今回に限って表紙を地味にしたのか不思議だったのですが、
こういうギミックがあったんですね。

「わざわざ位置を合わせてくり抜いたら、余計印刷コスト上がるでしょう……」と
いらぬ心配をするのは、野暮(←天神信仰だから)ってもんでしょうか。

これは必見!(その20) 

87「十一面観音菩薩立像」

道明寺(どうみょうじ)(大阪府藤井寺市)蔵。国宝。
平安時代初期(9世紀初頭)、
一本の木から彫り出す一木造(いちぼくづくり)の手法で作られました。
会場では道真が作ったと説明されていますが、
前の世代の人間が発願してプロに彫らせたものでしょう。

完成度は非常に高く、仏像マニア御用達の奈良国立博物館あたりで
観音像の特別展を開いたら、まず個別にオファーが掛かると思います。

十一面観音菩薩立像

(写真提供:九州国立博物館)


これが道真展を開くたびに目玉として登場する理由は、2つあります。

ひとつは、天神の本地仏(ほんちぶつ)が十一面観音菩薩とされること。

奈良時代末期から明治時代初頭まで、
日本の神々はさまざまな仏が別の姿で現れたものとされてきました。
これが本地垂迹(ほんちすいじゃく)説で、
おおもとの仏を本地仏と呼びます。

天神の本地は文殊(もんじゅ)菩薩だとされたこともありましたが、
比較的早い時期から観音菩薩の化身と見なされてきました。
ただ、なぜ観音の中でも十一面なのか、という問いに対して
明快な解答を打ち出した人はいなかったと思います。

そして道明寺が菅原氏の氏寺であること。

もともと、この寺は土師寺(はじでら)という名前で、
土師(はじ)氏によって飛鳥時代に建立されました。
その土師氏の一支流が菅原氏です。
奈良時代末期、桓武(かんむ)天皇の時代に、
道真の曾祖父らの申請によって改姓しました。
当時一族が住んでいた地名「菅原(すがはら)」に由来しますが、
現在でも、奈良市内にその名前は残っています。

菅原氏の氏寺としてはもう一つ、
平安京郊外の吉祥院(きっしょういん)がありますが、
こちらは道真の父親の代に建てられたので、
時代はぐっと下がります。

明治の神仏分離令を受け、道明寺は神社と寺院に分離しました。
両者合わせての規模も、往事よりはずっと小さくなっています。

道明寺


十一面観音そのものは毎月18日に一般公開されていますが、
厨子(ずし)の中だと、なかなか細かい部分までは見えないもの。
仏像を心ゆくまで鑑賞できるのは、博物館のメリットです。
ただ、今回は背中の壁が半円形になっているので、
背中側がほとんど見えませんでした。それが残念なところです。

これは必見!(その19) 

20「和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)」 (〜11/3)

平安時代中期に藤原公任(ふじわらのきんとう)が編纂した、
季節別・テーマ別の和歌と漢詩文のアンソロジー。
TPOに応じた一節を当意即妙に口ずさめるのが、格好良い貴族の条件のひとつなのです。

和漢朗詠集

(写真提供:九州国立博物館)


展示されているのは、巻上の末尾部分、「帰雁」から「仏名」まで。

一番下に作者名が書かれているので、そこを見ておきましょう。
「白」が白居易(はくきょい)、「菅(丞相)」が道真。
あと「紀納言(きのなごん)」「藤篤茂」「醍醐御製(だいごぎょせい)」なども
ありました。「藤篤茂」は道真の弟子、藤原篤茂(ふじわらのあつしげ)のこと。

「紀納言」は紀長谷雄(きのはせお)。道真と同じ年の弟子ですが、
後半生における親友でもあり、『菅家後集(かんかこうしゅう)』の原型本
『西府新詩(さいふしんし)』を託された人物です。

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