これは必見!(その10) 

37「北野天神縁起絵巻(承久本)」 (2)巻4「配流陸路」(その1)

巻3の終わりで、紅梅殿の梅に別れを告げた道真は、山陽道を西に向かいます。

巻4冒頭の詞書(ことばがき)は非常に美しいものですから、
長くなるのを覚悟で御紹介したいと思います。

承久本・配流陸路

(写真提供:九州国立博物館)


生涯は定まれる地なし。運命は皇天(こうてん)にあり。
思はざりき、大臣・大将より大宰(だざい)の権帥(ごんのそち)に
遷(うつ)されて、
輔弼(ほひつ)阿衡(あこう)の貴名を改めて、
配流(はいる)左遷の拙(つたな)き名を継がんとは。
朝の露をば袂(たもと)の上に打ち払ひ、
呼ぶ小鳥の声こそ枕上(ちんじょう)に伴へ。
     (中略)
五代帝王の御幸(みゆき)には、緑〓(りょくじ)の馬に乗りてぞ、
鳳輦(ほうれん)の御先(みさき)には打ち給(たま)ひしに、
駅馬の蹄(ひづめ)痛く、鞭(むち)をのみ費やす。
     (中略)
傅築(ふちく)巌辺(がんぺん)の〓(ごう)、
范舟(はんしゅう)湖上の篇、
我が身いかなる悪果に引かれて、旅の空に漂ひて、
雲を開く雁(かり)に伴ひ、
日終(ひねもす)に吟じて樸(ぼく)を抱(いだ)く蝉とも成りぬらん。

三峡五湖の暁(あかつき)の波に涙流れ添ひ、
呉坂楚嶺(ごはんそれい)の夜な夜なの嵐に目をのみ覚ましつつ、
昔を思へば、
器の拙(つたな)くして豊沢(ほうたく)を受く。
臨めば万仞(ばんじん)の淵(ふち)よりも深し。
船頑(かたくな)にして巨川(きょせん)を渡る。
責めは千鈞(せんきん)の石よりも重し。

京を出(い)でて後、月日は重なれども、
朝(あした)の煙絶え、夕(ゆうべ)に宿空しく、
妖害(ようがい)は何によりてか去らん。
悪名はついに除こなんとす。
今はただ合掌して、仏道に帰依(きえ)し、
心をめぐらして罪果を厭離(おんり)す。
     (中略)
さりながら、宿習(しゅくじゅう)に引かれて、
楽天(らくてん)の「北窓三友」の詩を思ひて
作らせ給ひたる廿八韻(にじゅうはちいん)の詩を聞くこそ、
いよいよ御心の内知られて、哀れに覚(おぼ)ゆれ。

  勅使(ちよくし) 駆将(かり)て去りしより
  父子 一時に五処に離る
  口に言ふこと能(あた)はず 眼中(がんちう)の血
  俯(ふ)し仰ぐ 天神(てんじん)と地祇(ちぎ)と
  東(とざま)に行き西(かうざま)に行き 雲眇眇(はるばる)
  二月三月(きさらぎやよひ) 日遅遅(うらうら)
  重関(ちようかん) 警固(けいご )して 知聞( ちぶん)断え
  単寝(たんしん) 辛酸(しんさん)にして 夢見ること稀(まれ)なり
  山河〓矣(はくい )として行くに随(したが)ひて隔(へだ)つ
  風景黯然(あんぜん)として 路(みち)に在(あ)りて移る
  平(たひ)らかに謫所(たくしよ)に致(いた)るとも
   誰と与(とも)にか食(は)まん
  生きて秋風に及ぶとも 定(さだ)めて衣も無(な)からん
  古(いにしへ)の三友は一生の楽しびなれど
  今の三友は一生の悲しみなり

これぞその中の七句。句ごとに腸(はらわた)を断ちぬべし。

道の遠くなりければ、心細く思(おぼ)して、
北の方へ奉らせ給ひける御歌を聞くこそ、哀れに覚(おぼ)ゆれ。

  君が住む宿の垣根をゆくゆくと
  隠るるまでにかへり見しかな

京には、この御歌を御覧じて、紅の涙を流させ給ひける。
理(ことわり)に思して、よその袂(たもと)まで絞りあへずぞありける。

(参考文献:小松茂美編『続日本の絵巻15 北野天神縁起』中央公論社、1991年)
※漢詩の読み、詞書の解釈については、私意により一部改めました。


ここまで来て、ようやく牛車(ぎっしゃ)に乗せられた道真が登場します。
ワンシーンしか展示されていなくても、詞書はこのように長いのです。

これは必見!(その9) 

37「北野天神縁起絵巻(承久本)」 (1)承久本の概要

北野天満宮の所蔵する国宝で、現存最古の天神縁起絵巻です。
本文に、現時点を「承久(じょうきゅう)元年(1219年)」と記載していることから、
「承久本(じょうきゅうぼん)」と呼ばれています。
ちょうどこの年、鎌倉幕府3代将軍・源実朝(みなもとのさねとも)が暗殺されました。

紙を横方向ではなく縦方向につないだことで、
縦52cmという巨大な画面を作ることに成功しました。
このサイズ展開をやってのけた縁起絵巻は、
他に国宝「当麻曼荼羅(たいままんだら)縁起絵巻」があるだけと聞いています。
こちらは鎌倉国宝館の特別展「鎌倉の精華──鎌倉国宝館開館八十周年記念──」
(10/10〜11/24)で公開されています。

御神体に準じて厳重に保管されていたため、保存状態は非常に良いものです。
ただ、「天神縁起を最後まで描いていない」「絵の構図が他の絵巻と明らかに異なる」
など、知名度の高さに反し、未解決の問題も数多く残されています。

今回展示されるのは10/26までが巻4・巻6、10/28からが巻3・巻5となっています。
後半では「東風吹かば……」や天拝山(てんぱいざん)あたりが
出るかとも思われますが、
前半でも巻4の「恩賜の御衣(おんしのぎょい)」は出していませんでした。

明日から、前半の展示部分を詳しく見ていきますので、お楽しみに。

これは必見!(その8) 

4「白磁円硯(はくじえんけん)」

道明寺天満宮(大阪府藤井寺市)が所蔵する、道真の遺品とされる国宝群の一つです。
直径27cm、高さ6.3cm。焼き物の硯で、中国からの輸入品です。
かなり大きい物だけに、重量はどれくらいあるのでしょう?

白磁円硯

(写真提供:九州国立博物館)


特別展では、背の低いガラスケースを見下ろす格好になります。
10cm先に11世紀前があるというのは、なかなか不思議な感覚ですよ。

画面に写っているものは、すべて国宝です。

右側にあるのが 3「犀角柄刀子(さいかくつかのとうす)」。
サイの角を使った刀で、木簡(もっかん:文字を書くための細長い板)の表面を
削り、再使用するために使う文房具です。言うなれば消しゴムや修正液ですね。

左側にあるのが 1「牙笏(げのしゃく)」。
現在の神職が使うのは木製ですが、これは象牙でできています。
象牙製は五位以上(=つまり文字通りの貴族)に限られます。
もともとは式次第を書いた紙を裏側に貼り、
カンニングペーパーとして使われていましたが、
次第に威儀を正すための道具として使うようになりました。

いや、でもカンペ使いたくなる気持ちは分かるんですよ。
年中行事だけでも数が多いし、内容もひとつひとつ細かいし、
天気によっても内容が変わりますし。
「この時ああしたけど、あの行動は間違ってる!」と、
後に醍醐天皇おんみずから臣下の所作に突っ込んでおられます。

本来、硯の底には周囲に沿って足があったはずですが、現在はなくなっています。

20年近く前に初めて対面した道真ゆかりの品ということもあり、
この硯には個人的にかなり思い入れがあります。

ただ、今展示目録を見ていて気がついたんですが、
他の遺品類が「9世紀」とあるのに対し、この硯だけが「7世紀」になっていました。
道真は9世紀後半(845年生まれ、903年没)の人ですから、
輸入までのタイムラグを考慮しても、古さが際立っています。
彼より前の世代の人が使っていたものを受け継いだ可能性もありますね。

巨大絵馬の話 

会場入口右横にある巨大な絵馬は、
事前に西鉄が「みんなの願いが大きな絵馬に」と題して写真を募集し、
寄せられた写真の色調をいじってコラージュしたものです。

西鉄による巨大絵馬


下絵は太宰府天満宮の定番・板絵菅公像。原画は10/19まで会場内に展示されます。

板絵菅公像

(写真提供:九州国立博物館)


確かプレゼント当選者は顔と願い事の内容をネットで公開されるという
厄介なオプションがついていたはずですが、どうなったんでしょうか?

これは必見!(その7) 

31「観世音寺(かんぜおんじ)梵鐘(ぼんしょう)」

高校の古文でもおなじみの『大鏡(おおかがみ)』に、
こんな一節があります。左大臣時平伝より意訳。

筑紫で住んでおられた所は、門を固く閉ざしておりました。
大宰大弐(だざいのだいに)のいる官庁は遥か遠くにあるとはいえ、
不意に正門の上の瓦などが見える時もあります。
また、観世音寺という寺がすぐ近くにあるので、
鐘の音をお聞きになって、このような詩を詠まれました。

  都府楼(とふろう)は わずかに瓦の色が見えるばかりで
  観音寺は ただ鐘の音に耳を傾けるに過ぎない

この詩は、『白氏文集』で白居易(はくきょい)が

  遺愛寺(いあいじ)の鐘は 枕にもたれて聴き
  香炉峯(こうろほう)の雪は 簾(すだれ)を跳ね上げて見る

と詠んだ詩よりも優れていると、昔の博士などは申したものです。

「遺愛寺」の詩句は、中宮藤原定子の問いに対し、
清少納言がとっさに簾を巻き上げて庭の雪を見せた『枕草子』の
エピソードでも有名です。

道真が住んでいたのは、大宰府政庁の南方にある「南館」。
大宰府政庁の瓦は大量に出土しているようですが、
今回は鬼瓦のみ展示されています。
また、太宰府政庁のことを「都府楼(とふろう)」と呼ぶのは、
道真のこの詩に由来します。
「都督府(ととくふ)」(地方を統括する中国の役所)の
「楼」(たかどの)の意味です。

図録の解説によれば(41頁)、
彼が見た瓦の色は、まだら模様の灰色だったとか。
うわぐすりを掛けていないので、緑色ではないんですね。意外。

そして観世音寺は、規模を縮小しながらも現存しています。
境内に鐘楼があり、中に吊るされているのが、今回展示される鐘です。

観世音寺の梵鐘

(写真提供:九州国立博物館)


飛鳥時代、妙心寺(みょうしんじ)(京都市)の梵鐘と
前後して同じ工房で作られたものと考えられています。ともに国宝です。
しかも道真が聴いた鐘の音は、大晦日などに現在でも響いています。

過去の特別展では音色を録音して流した事もありますが、
今回は残念ながら「音の展示」はありません。
しかし、実は九博のサイトで聴くことができるのです。

何の迷いもなく澄んだ音に、ただ黙って耳を傾ける道真。切ないです。

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