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    <title>まるわかり天神縁起</title>
    <link>https://blog.tobiu.me/</link>
    <description>2008年9月23日～11月30日、九州国立博物館で特別展「国宝　天神さま」が開催されました。こちらは「山陰亭（やまかげてい）～菅原道真で遊ぼう！～」のウェブマスターによる紹介記事です。</description>
    <language>ja</language>
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    <itunes:summary>2008年9月23日～11月30日、九州国立博物館で特別展「国宝　天神さま」が開催されました。こちらは「山陰亭（やまかげてい）～菅原道真で遊ぼう！～」のウェブマスターによる紹介記事です。</itunes:summary>
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    <itunes:author>Michiza.net</itunes:author>
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      <link>https://blog.tobiu.me/article/111341670.html</link>
      <title>菅原道真と観音信仰</title>
      <pubDate>Wed, 17 Dec 2008 02:34:22 +0900</pubDate>
            <description>「神様の特別展なのに、どうして仏像が出ているの？」という素朴な疑問。道真作という伝承を前面に押し出して展示した道明寺のみならず、鎌倉・神武寺（68）、佐賀・大興善寺（88）からも十一面観音像が搬入されており、会期を通じて会場に座っておられたので、不思議に思う方も少なくなかったようです。ところが、これらの仏様、実は明治初頭まで、神武寺の観音像は荏柄天神社、大興善寺の観音像は太宰府天満宮に、それぞれ天神の本地仏として安置されていました。（写真提供：九州国立博物館）左から順に、荏柄..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
「神様の特別展なのに、どうして仏像が出ているの？」という素朴な疑問。

道真作という伝承を前面に押し出して展示した道明寺のみならず、
鎌倉・神武寺（68）、佐賀・大興善寺（88）からも十一面観音像が搬入されており、
会期を通じて会場に座っておられたので、不思議に思う方も少なくなかったようです。

ところが、これらの仏様、実は明治初頭まで、
神武寺の観音像は荏柄天神社、大興善寺の観音像は太宰府天満宮に、
それぞれ天神の本地仏として安置されていました。

<img src="http://michiza.net/zbg/pbqegrs.jpg" alt="&#x834F;&#x67C4;&#x5929;&#x795E;&#x793E;&#x306E;&#x5929;&#x795E;&#x50CF;3&#x70B9;&#x30BB;&#x30C3;&#x30C8;" width="450" height="300">
（写真提供：九州国立博物館）
左から順に、荏柄天神社の立像（67）・坐像（66）・神武寺の十一面観音像（68）。
本来の形に沿って並べ直すと、このような形になります。
右端は大興善寺の十一面観音像（88）。

その前提となる神仏習合については<a href="http://tobiu.me/archives/20081025-1.html">十一面観音</a>で触れましたので、
今度は道真本人の観音信仰のルーツについて書こうと思います。

図録145ページでも触れられていますが、道真は熱心な仏教信者でした。
仏像を造り、写経に励み、
宿願叶って菅原家の仏事たる吉祥悔過（きちじょうげか）の月に亡くなった祖父、
病床においても念仏読経を怠らず、吉祥悔過についてのみ遺言を残した父、
危篤に陥った幼い息子の命を救うべく観音像を造る事を発願（ほつがん）した母。

母親は臨終の席で道真に告げました。
生死の淵をさまよったそなたが今生きているのもひとえに観音菩薩のおかげ、
自分が果たせなかった観音像造立の誓いを果たして欲しい、と。

その後、道真は費用を工面するため節制に励みました。
その間に父親も亡くなり、
父親の遺品である妙法蓮華経と母親の遺言に従って造った観音菩薩像を前に、
ひとり法華八講（ほっけはっこう）の日を迎えました。
母親の死から9年9ヶ月後、37歳の時の話です。

道真と仏教の話を書くと非常に長くなってしまうので詳しくは述べませんが、
母親から受け継いだ観音信仰は、大宰府においても途絶える事はありませんでした。

最晩年の漢詩の中でも、衰・老・病の後に必ず訪れる死を前に、
あらゆる災厄から人を救うとされる観音の力にすがろうとして
観音経（法華経普門品）を唱える自己の姿を描いています。

<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
「神様の特別展なのに、どうして仏像が出ているの？」という素朴な疑問。<br /><br />道真作という伝承を前面に押し出して展示した道明寺のみならず、<br />鎌倉・神武寺（68）、佐賀・大興善寺（88）からも十一面観音像が搬入されており、<br />会期を通じて会場に座っておられたので、不思議に思う方も少なくなかったようです。<br /><br />ところが、これらの仏様、実は明治初頭まで、<br />神武寺の観音像は荏柄天神社、大興善寺の観音像は太宰府天満宮に、<br />それぞれ天神の本地仏として安置されていました。<br /><br /><div style="text-align:center;"><img src="http://michiza.net/zbg/pbqegrs.jpg" alt="荏柄天神社の天神像3点セット" width="450" height="300"></div><br /><div style="text-align:right;">（写真提供：九州国立博物館）</div><br />左から順に、荏柄天神社の立像（67）・坐像（66）・神武寺の十一面観音像（68）。<br />本来の形に沿って並べ直すと、このような形になります。<br />右端は大興善寺の十一面観音像（88）。<br /><br />その前提となる神仏習合については<a href="http://tobiu.me/archives/20081025-1.html">十一面観音</a>で触れましたので、<br />今度は道真本人の観音信仰のルーツについて書こうと思います。<br /><br />図録145ページでも触れられていますが、道真は熱心な仏教信者でした。<br />仏像を造り、写経に励み、<br />宿願叶って菅原家の仏事たる吉祥悔過（きちじょうげか）の月に亡くなった祖父、<br />病床においても念仏読経を怠らず、吉祥悔過についてのみ遺言を残した父、<br />危篤に陥った幼い息子の命を救うべく観音像を造る事を発願（ほつがん）した母。<br /><br />母親は臨終の席で道真に告げました。<br />生死の淵をさまよったそなたが今生きているのもひとえに観音菩薩のおかげ、<br />自分が果たせなかった観音像造立の誓いを果たして欲しい、と。<br /><br />その後、道真は費用を工面するため節制に励みました。<br />その間に父親も亡くなり、<br />父親の遺品である妙法蓮華経と母親の遺言に従って造った観音菩薩像を前に、<br />ひとり法華八講（ほっけはっこう）の日を迎えました。<br />母親の死から9年9ヶ月後、37歳の時の話です。<br /><br />道真と仏教の話を書くと非常に長くなってしまうので詳しくは述べませんが、<br />母親から受け継いだ観音信仰は、大宰府においても途絶える事はありませんでした。<br /><br />最晩年の漢詩の中でも、衰・老・病の後に必ず訪れる死を前に、<br />あらゆる災厄から人を救うとされる観音の力にすがろうとして<br />観音経（法華経普門品）を唱える自己の姿を描いています。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>関連情報</category>
      <author>Michiza.net</author>
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                </item>
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      <link>https://blog.tobiu.me/article/110548164.html</link>
      <title>17万人超えていました</title>
      <pubDate>Tue, 02 Dec 2008 03:21:18 +0900</pubDate>
            <description>総入場者数について、西日本新聞のサイトには現時点でも掲載されていませんが、紙面には記載があったようで、確認された方からメールを頂きました。約17万5000人との事。11/26の15万人突破から4日間でこの伸びですから、会期終了間際に駆け込み組が大量発生した模様です。国立文化財機構のサイトに過去の特別展に対する評価結果が載せられていますが、今回の入場者数は過去にクリアしたことのある数字だったようです。　・「うるま　ちゅら島　琉球」（2006/4/29～6/25）　　　　　177..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
総入場者数について、西日本新聞のサイトには現時点でも掲載されていませんが、
紙面には記載があったようで、確認された方からメールを頂きました。
約17万5000人との事。

11/26の15万人突破から4日間でこの伸びですから、
会期終了間際に駆け込み組が大量発生した模様です。

<a href="http://www.nich.go.jp/" target="_blank">国立文化財機構</a>のサイトに過去の特別展に対する評価結果が載せられていますが、
今回の入場者数は過去にクリアしたことのある数字だったようです。

　・「うるま　ちゅら島　琉球」（2006/4/29～6/25）　　　　　177,478人
　・「本願寺展　親鸞と仏教伝来の道」（2007/9/22～11/18）　197,697人
　・「京都五山　禅の文化展」（2008/1/1～2/24）　　　　　　171,336人

ちなみに一番凄かったのは、コレ。

　・「プライスコレクション　若冲と江戸絵画」（2007/1/1～3/11）　300,171人

なぜか目標5万人と低く見積もっていましたが、やっぱり若冲は若者に強いですね。
会期中に太宰府天満宮の社務所で
「（招待券をもらっても）1時間で見られないので、やめておきます」と断ったら、
「錦の八百屋嫌い」のレッテルを貼られた苦い思い出が……。

事実はむしろ逆で、琳派好きゆえに消化不良を起こしたくなかったんですよ～。


（2009/9/28追記）
その後、「国宝　阿修羅展」（2009/7/14～2009/9/27）が、
710,138人とあっさり記録を塗り替えました。

安いパックツアーが取れなくてパスしましたが、
むしろ「行かなくて良かったな～」と思っている自分がいます。
<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
総入場者数について、西日本新聞のサイトには現時点でも掲載されていませんが、<br />紙面には記載があったようで、確認された方からメールを頂きました。<br />約17万5000人との事。<br /><br />11/26の15万人突破から4日間でこの伸びですから、<br />会期終了間際に駆け込み組が大量発生した模様です。<br /><br /><a href="http://www.nich.go.jp/" target="_blank">国立文化財機構</a>のサイトに過去の特別展に対する評価結果が載せられていますが、<br />今回の入場者数は過去にクリアしたことのある数字だったようです。<br /><br />　・「うるま　ちゅら島　琉球」（2006/4/29～6/25）　　　　　177,478人<br />　・「本願寺展　親鸞と仏教伝来の道」（2007/9/22～11/18）　197,697人<br />　・「京都五山　禅の文化展」（2008/1/1～2/24）　　　　　　171,336人<br /><br />ちなみに一番凄かったのは、コレ。<br /><br />　・「プライスコレクション　若冲と江戸絵画」（2007/1/1～3/11）　300,171人<br /><br />なぜか目標5万人と低く見積もっていましたが、やっぱり若冲は若者に強いですね。<br />会期中に太宰府天満宮の社務所で<br />「（招待券をもらっても）1時間で見られないので、やめておきます」と断ったら、<br />「錦の八百屋嫌い」のレッテルを貼られた苦い思い出が……。<br /><br />事実はむしろ逆で、琳派好きゆえに消化不良を起こしたくなかったんですよ～。<br /><br /><br />（2009/9/28追記）<br />その後、「国宝　阿修羅展」（2009/7/14～2009/9/27）が、<br />710,138人とあっさり記録を塗り替えました。<br /><br />安いパックツアーが取れなくてパスしましたが、<br />むしろ「行かなくて良かったな～」と思っている自分がいます。<br /><a name="more"></a>

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            <category>特別展情報</category>
      <author>Michiza.net</author>
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      <link>https://blog.tobiu.me/article/110541702.html</link>
      <title>特別展の図録</title>
      <pubDate>Mon, 01 Dec 2008 23:53:33 +0900</pubDate>
            <description>殺人的な重量で話題を振りまいた過去の特別展図録に比べ、今回は良心的な（あるいはまともな）重量となっています。価格は1冊2000円。左側が「国宝　天神さま」（238頁）、右側が上から「北野天満宮神宝展」（298頁）と「天神さまの美術」（366頁）です。図録の厚さを測ったところ、実測値として次の数値が得られました。　・『国宝　天神さま』　1.9cm　・『北野天満宮神宝展』2.35cm　・『天神さまの美術』　2.8cmページ数の差には出品点数も影響しますが、むしろ解説や論文の量に左..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
殺人的な重量で話題を振りまいた過去の特別展図録に比べ、
今回は良心的な（あるいはまともな）重量となっています。価格は1冊2000円。

<img src="http://michiza.net/zbg/pbmzurok.jpg" alt="&#x7279;&#x5225;&#x5C55;&#x56F3;&#x9332;&#x306E;&#x539A;&#x3055;&#x6BD4;&#x8F03;" width="400" height="300">

左側が「国宝　天神さま」（238頁）、
右側が上から「北野天満宮神宝展」（298頁）と「天神さまの美術」（366頁）です。

図録の厚さを測ったところ、実測値として次の数値が得られました。

　・『国宝　天神さま』　1.9cm
　・『北野天満宮神宝展』2.35cm
　・『天神さまの美術』　2.8cm

ページ数の差には出品点数も影響しますが、むしろ解説や論文の量に左右されるようで、
『天神さまの美術』はカラー図版に伍するほど活字のページが入っています。

特別展「国宝　大絵巻展」の図録を読んだ時、これは欲しいと思いました。
その理由がコラムの本数と折り込み図版の多さ。
通常の特別展図録に比べ、明らかにページ数は少ないのですが、
縦長であるべき図録をわざと横長に倒し、
長い用紙を折りたたむことで、より長い画面を1面に収める事に成功しました。

横長の用紙を巻きながら読む絵巻物の特質を踏まえ、
なるべく多くの画面を収録しようとする試みでした。
画面をぶつ切りにし、ハイライト画面を抜粋して拡大する従来の方法には、
全体の流れが分からない問題点があるのです。

今回もこの手法が継承され、承久本は折り込み式で掲載しています。

<img src="http://michiza.net/zbg/pbmzuro2.jpg" alt="&#x7D19;&#x306E;&#x4F5C;&#x54C1;&#x76EE;&#x9332;" width="450" height="150">

写真は折り込み部分を完全に開いたところ。左右4ページ分ずつあります。
脚立がないと撮影できないほどの幅でした。

コラムは学芸員を中心に、一部外部の研究者が担当。
1テーマ1ページでさらっと読めるように、うまくまとめてありました。

論文については、あまりに執筆者の顔ぶれが手堅すぎて
新鮮味や面白みに欠けるきらいがあります。
新事実の発見や新見解の表示より、過去の議論を敷衍している印象を受けました。

さて問題は、2000円払ってまで買う価値があるのか？　という事。
図録は図書館になかなか入らないことを考えると、
専門家なら中古であっても買うことになるでしょう。

普通の人の場合、絶対買えと言い切るには活字部分がもう少し欲しい気がします。
コラム読んで写真眺めてで終わり、というのはあまりに寂しいものです。
この点では、最近吉川弘文館から出た<a href="http://www.yoshikawa-k.co.jp/rekishikoten1.htm" target="_blank">『北野天神縁起を読む』</a>をお勧めします。


（2008/12/5追記）
　この図録、12/1の時点で既に完売になっていたようです。
　まさかとは思いますが、会期中に売り切れてしまったんでしょうか……？
　11/24に知人に頼まれて1冊購入した時は、まだ余裕があるように見えました。

　何年か経ったら、ネットオークションや古書店へ流れるのが常ですから、
　こうなってはその時まで気長に待つしかないですね。
　あとは県立図書館あたりを探してみるとか。

（2009/7/4追記）
　試しに検索したところ、すでに古書店に出ていました。
　ただ、定価の倍近くという値段ですので、店名を挙げるのは控えておきます。
　1500円前後でしたら、買いかなとは思うのですが。
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
殺人的な重量で話題を振りまいた過去の特別展図録に比べ、<br />今回は良心的な（あるいはまともな）重量となっています。価格は1冊2000円。<br /><br /><div style="text-align:center;"><img src="http://michiza.net/zbg/pbmzurok.jpg" alt="特別展図録の厚さ比較" width="400" height="300"></div><br /><br />左側が「国宝　天神さま」（238頁）、<br />右側が上から「北野天満宮神宝展」（298頁）と「天神さまの美術」（366頁）です。<br /><br />図録の厚さを測ったところ、実測値として次の数値が得られました。<br /><br />　・『国宝　天神さま』　1.9cm<br />　・『北野天満宮神宝展』2.35cm<br />　・『天神さまの美術』　2.8cm<br /><br />ページ数の差には出品点数も影響しますが、むしろ解説や論文の量に左右されるようで、<br />『天神さまの美術』はカラー図版に伍するほど活字のページが入っています。<br /><br />特別展「国宝　大絵巻展」の図録を読んだ時、これは欲しいと思いました。<br />その理由がコラムの本数と折り込み図版の多さ。<br />通常の特別展図録に比べ、明らかにページ数は少ないのですが、<br />縦長であるべき図録をわざと横長に倒し、<br />長い用紙を折りたたむことで、より長い画面を1面に収める事に成功しました。<br /><br />横長の用紙を巻きながら読む絵巻物の特質を踏まえ、<br />なるべく多くの画面を収録しようとする試みでした。<br />画面をぶつ切りにし、ハイライト画面を抜粋して拡大する従来の方法には、<br />全体の流れが分からない問題点があるのです。<br /><br />今回もこの手法が継承され、承久本は折り込み式で掲載しています。<br /><br /><div style="text-align:center;"><img src="http://michiza.net/zbg/pbmzuro2.jpg" alt="紙の作品目録" width="450" height="150"></div><br /><br />写真は折り込み部分を完全に開いたところ。左右4ページ分ずつあります。<br />脚立がないと撮影できないほどの幅でした。<br /><br />コラムは学芸員を中心に、一部外部の研究者が担当。<br />1テーマ1ページでさらっと読めるように、うまくまとめてありました。<br /><br />論文については、あまりに執筆者の顔ぶれが手堅すぎて<br />新鮮味や面白みに欠けるきらいがあります。<br />新事実の発見や新見解の表示より、過去の議論を敷衍している印象を受けました。<br /><br />さて問題は、2000円払ってまで買う価値があるのか？　という事。<br />図録は図書館になかなか入らないことを考えると、<br />専門家なら中古であっても買うことになるでしょう。<br /><br />普通の人の場合、絶対買えと言い切るには活字部分がもう少し欲しい気がします。<br />コラム読んで写真眺めてで終わり、というのはあまりに寂しいものです。<br />この点では、最近吉川弘文館から出た<a href="http://www.yoshikawa-k.co.jp/rekishikoten1.htm" target="_blank">『北野天神縁起を読む』</a>をお勧めします。<br /><br /><br />（2008/12/5追記）<br />　この図録、12/1の時点で既に完売になっていたようです。<br />　まさかとは思いますが、会期中に売り切れてしまったんでしょうか……？<br />　11/24に知人に頼まれて1冊購入した時は、まだ余裕があるように見えました。<br /><br />　何年か経ったら、ネットオークションや古書店へ流れるのが常ですから、<br />　こうなってはその時まで気長に待つしかないですね。<br />　あとは県立図書館あたりを探してみるとか。<br /><br />（2009/7/4追記）<br />　試しに検索したところ、すでに古書店に出ていました。<br />　ただ、定価の倍近くという値段ですので、店名を挙げるのは控えておきます。<br />　1500円前後でしたら、買いかなとは思うのですが。<br /><a name="more"></a>

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            <category>特別展情報</category>
      <author>Michiza.net</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://blog.tobiu.me/article/110448425.html</link>
      <title>特別展、無事終了です</title>
      <pubDate>Sun, 30 Nov 2008 17:19:30 +0900</pubDate>
            <description>本日17時をもって、特別展「国宝　天神さま」は無事終了しました。当初の心配とは裏腹に、大盛況だったようです。最終の入場者数については、明日の「西日本新聞」に出ると思いますが、楽しみですね。スタッフの皆様、お疲れ様でした。（←明日からの撤収作業の方が大変だと思います。）今回の展示で判明したこと。　・道真が九州に2年間しかいなかった事は、案外認識されていない　・福岡県民は福岡市天神地区がなぜ「天神」なのか知らない　・九博の特別展は「左から入って右へ出る」会場設営が常識だった　　（..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
本日17時をもって、特別展「国宝　天神さま」は無事終了しました。
当初の心配とは裏腹に、大盛況だったようです。
最終の入場者数については、明日の「西日本新聞」に出ると思いますが、楽しみですね。

スタッフの皆様、お疲れ様でした。（←明日からの撤収作業の方が大変だと思います。）

今回の展示で判明したこと。

　・道真が九州に2年間しかいなかった事は、案外認識されていない
　・福岡県民は福岡市天神地区がなぜ「天神」なのか知らない
　・九博の特別展は「左から入って右へ出る」会場設営が常識だった
　　（閲覧ルートが時計回りとなり、巻物とは反対方向の動線になるのですが、
　　　今回右に入口を設けるまで、問題視されなかったらしい……。）

勝因として、今思いつくまま挙げてみると、

　・福岡有数の観光地である太宰府天満宮の隣で祭神にちなんだ展示を行った
　・西日本新聞と西日本鉄道（特に後者）の強力なPR作戦
　・県内の小学生に無料入場券を配り、保護者の来訪を促した

あたりが考えられますね。
個人的には福岡県内のみならず、山口や九州北部を巻き込んでみたかった感はあります。

さて、会期終了にともない、このブログも一旦終了……のはずでしたが、
まだ書き残している事がありますので、もう少し落ち穂拾いが続きます。

<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
本日17時をもって、特別展「国宝　天神さま」は無事終了しました。<br />当初の心配とは裏腹に、大盛況だったようです。<br />最終の入場者数については、明日の「西日本新聞」に出ると思いますが、楽しみですね。<br /><br />スタッフの皆様、お疲れ様でした。（←明日からの撤収作業の方が大変だと思います。）<br /><br />今回の展示で判明したこと。<br /><br />　・道真が九州に2年間しかいなかった事は、案外認識されていない<br />　・福岡県民は福岡市天神地区がなぜ「天神」なのか知らない<br />　・九博の特別展は「左から入って右へ出る」会場設営が常識だった<br />　　（閲覧ルートが時計回りとなり、巻物とは反対方向の動線になるのですが、<br />　　　今回右に入口を設けるまで、問題視されなかったらしい……。）<br /><br />勝因として、今思いつくまま挙げてみると、<br /><br />　・福岡有数の観光地である太宰府天満宮の隣で祭神にちなんだ展示を行った<br />　・西日本新聞と西日本鉄道（特に後者）の強力なPR作戦<br />　・県内の小学生に無料入場券を配り、保護者の来訪を促した<br /><br />あたりが考えられますね。<br />個人的には福岡県内のみならず、山口や九州北部を巻き込んでみたかった感はあります。<br /><br />さて、会期終了にともない、このブログも一旦終了……のはずでしたが、<br />まだ書き残している事がありますので、もう少し落ち穂拾いが続きます。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>特別展情報</category>
      <author>Michiza.net</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://blog.tobiu.me/article/110370632.html</link>
      <title>これは必見！（その38）</title>
      <pubDate>Sat, 29 Nov 2008 00:17:27 +0900</pubDate>
            <description>37「北野天神縁起絵巻（承久本）」　（14）巻5「雷神襲来」承久本には2度、雷神が雷を落とすシーンが描かれています。これはその最初のほう。元ネタは『大鏡』時平伝です。道真が死して神となり、清涼殿に雷を落とそうとした時、左大臣時平は太刀を抜いて仁王立ちになり、虚空に向かってこう叫びました。「生前でも私の下座だったでしょうが！　たとえ神になられても、この世では私に遠慮するのが筋です！」この言葉に一度は雷も収まりましたが、時平が偉いのではなく、道真公が臣下としての秩序を示しただけの..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
37「北野天神縁起絵巻（承久本）」　（14）巻5「雷神襲来」

承久本には2度、雷神が雷を落とすシーンが描かれています。これはその最初のほう。
元ネタは『大鏡』時平伝です。

道真が死して神となり、清涼殿に雷を落とそうとした時、
左大臣時平は太刀を抜いて仁王立ちになり、虚空に向かってこう叫びました。

「生前でも私の下座だったでしょうが！
　たとえ神になられても、この世では私に遠慮するのが筋です！」

この言葉に一度は雷も収まりましたが、時平が偉いのではなく、
道真公が臣下としての秩序を示しただけの事だとか。

時平と道真の直接対決を描いたこの話、実は全くのフィクションなんです。
清涼殿が被災して死傷者が出たのは930年6月26日の一度きり。

どこでしたか、
「雷の鳴る最中に太刀なんか抜いたら、格好の避雷針になるだろう」という
ごもっともなツッコミを読んだ時は、思わず笑ってしまいました。

<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<ins>37「北野天神縁起絵巻（承久本）」</ins>　（14）巻5「雷神襲来」<br /><br />承久本には2度、雷神が雷を落とすシーンが描かれています。これはその最初のほう。<br />元ネタは『大鏡』時平伝です。<br /><br />道真が死して神となり、清涼殿に雷を落とそうとした時、<br />左大臣時平は太刀を抜いて仁王立ちになり、虚空に向かってこう叫びました。<br /><br />「生前でも私の下座だったでしょうが！<br />　たとえ神になられても、この世では私に遠慮するのが筋です！」<br /><br />この言葉に一度は雷も収まりましたが、時平が偉いのではなく、<br />道真公が臣下としての秩序を示しただけの事だとか。<br /><br />時平と道真の直接対決を描いたこの話、実は全くのフィクションなんです。<br />清涼殿が被災して死傷者が出たのは930年6月26日の一度きり。<br /><br />どこでしたか、<br />「雷の鳴る最中に太刀なんか抜いたら、格好の避雷針になるだろう」という<br />ごもっともなツッコミを読んだ時は、思わず笑ってしまいました。<br /><br /><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
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            <category>展示品の紹介</category>
      <author>Michiza.net</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://blog.tobiu.me/article/110204988.html</link>
      <title>これは必見！（その37）</title>
      <pubDate>Fri, 28 Nov 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
            <description>37「北野天神縁起絵巻（承久本）」　（13）巻5「神霊化来」時は901年の夏、所は比叡山延暦寺。高僧・尊意（そんえ）の耳に、自室の扉を叩く音が響きました。真夜中という時間帯を怪訝に思いながら扉を開けた途端、尊意は我が眼を疑いました。訪問者は、今年の春に死んだはずの道真公。しかしそこは良くしたもの、冷静を装って部屋の中に招き入れました。まずは黙って相手の言い分を聞き出そうと試みたのです。来客に取りあえず勧めたのは、旬にはまだ早いザクロの実。「復讐にあたって、梵天と帝釈天の許可を..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
37「北野天神縁起絵巻（承久本）」　（13）巻5「神霊化来」

時は901年の夏、所は比叡山延暦寺。
高僧・尊意（そんえ）の耳に、自室の扉を叩く音が響きました。
真夜中という時間帯を怪訝に思いながら扉を開けた途端、尊意は我が眼を疑いました。
訪問者は、今年の春に死んだはずの道真公。

しかしそこは良くしたもの、冷静を装って部屋の中に招き入れました。
まずは黙って相手の言い分を聞き出そうと試みたのです。
来客に取りあえず勧めたのは、旬にはまだ早いザクロの実。

「復讐にあたって、梵天と帝釈天の許可を得た。
　例え天皇からの命令であっても、私を阻止するような事はしないで欲しい」。

はっきりと宣戦布告の意思を聞かされた尊意は、明快なまでに拒否しました。

「そう言われましても、二度三度と出動要請があれば、断る事はできません」。

道真は激怒し、とっさにザクロをつかみ、
口に含んだかと思うと、種ごと吹き出しました。

種は炎となって燃え上がり、傍らの戸に引火します。
尊意も臆せず印を組み、指先から水を放ちます。

攻撃を簡単にかわされてしまい、道真は悔し紛れに姿を消しました。

同じ画面に異なる場面を描くことで時間の推移を示す異時同図法を採用した
承久本のこの場面は、個人的には大好きなシーンです。
優美な正装でドアを律儀にノックする姿が、
いかにも生真面目な彼らしいという印象を受けるのです。

怨霊の火炎放射に僧侶が放水攻撃で応戦する光景が面白い、という声も出そうですね。

<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<ins>37「北野天神縁起絵巻（承久本）」</ins>　（13）巻5「神霊化来」<br /><br />時は901年の夏、所は比叡山延暦寺。<br />高僧・尊意（そんえ）の耳に、自室の扉を叩く音が響きました。<br />真夜中という時間帯を怪訝に思いながら扉を開けた途端、尊意は我が眼を疑いました。<br />訪問者は、今年の春に死んだはずの道真公。<br /><br />しかしそこは良くしたもの、冷静を装って部屋の中に招き入れました。<br />まずは黙って相手の言い分を聞き出そうと試みたのです。<br />来客に取りあえず勧めたのは、旬にはまだ早いザクロの実。<br /><br />「復讐にあたって、梵天と帝釈天の許可を得た。<br />　例え天皇からの命令であっても、私を阻止するような事はしないで欲しい」。<br /><br />はっきりと宣戦布告の意思を聞かされた尊意は、明快なまでに拒否しました。<br /><br />「そう言われましても、二度三度と出動要請があれば、断る事はできません」。<br /><br />道真は激怒し、とっさにザクロをつかみ、<br />口に含んだかと思うと、種ごと吹き出しました。<br /><br />種は炎となって燃え上がり、傍らの戸に引火します。<br />尊意も臆せず印を組み、指先から水を放ちます。<br /><br />攻撃を簡単にかわされてしまい、道真は悔し紛れに姿を消しました。<br /><br />同じ画面に異なる場面を描くことで時間の推移を示す異時同図法を採用した<br />承久本のこの場面は、個人的には大好きなシーンです。<br />優美な正装でドアを律儀にノックする姿が、<br />いかにも生真面目な彼らしいという印象を受けるのです。<br /><br />怨霊の火炎放射に僧侶が放水攻撃で応戦する光景が面白い、という声も出そうですね。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>展示品の紹介</category>
      <author>Michiza.net</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://blog.tobiu.me/article/110251241.html</link>
      <title>道真展の歩き方（2）</title>
      <pubDate>Thu, 27 Nov 2008 00:00:01 +0900</pubDate>
            <description>特別展の会場は、現在このような順番で構成されています。　・エントランス　…観世音寺梵鐘・荏柄天神の雲中天神像　・第1室　…平安時代に関する文字史料　・第2室　…承久本・メトロポリタン本・松崎本などの天神縁起絵巻と遺品類　・VTRコーナー　・天神さま研究所　・第3室　…天神縁起の絵巻・屏風・掛幅　・第4室　…天神像・渡唐天神像・観音像・仏塔　・第5室　…お祭りで使っていた獅子頭や面・連歌懐紙・文楽人形・浮世絵　・第6室　…神輿一番混雑するのは、展示の目玉となる絵巻が揃っている第..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
特別展の会場は、現在このような順番で構成されています。

　・エントランス　…観世音寺梵鐘・荏柄天神の雲中天神像
　・第1室　…平安時代に関する文字史料
　・第2室　…承久本・メトロポリタン本・松崎本などの天神縁起絵巻と遺品類
　・VTRコーナー
　・天神さま研究所
　・第3室　…天神縁起の絵巻・屏風・掛幅
　・第4室　…天神像・渡唐天神像・観音像・仏塔
　・第5室　…お祭りで使っていた獅子頭や面・連歌懐紙・文楽人形・浮世絵
　・第6室　…神輿

一番混雑するのは、展示の目玉となる絵巻が揃っている第2室です。
ここから見ようとすると、
朝9時30分の開館に合わせて入らない限り、行列になるでしょう。

そこで午後から入館した場合の効率的なモデルコースを紹介します。
特別展に行っていなかった地元の知人を案内するために
会場内で即座に考えたものですので、実証済みです。

まず手荷物は、鉛筆とメモ帳程度を残し、1階のコインロッカーに入れます。
衣類だけでしたら1階のクロークに預けます。
必要に応じて当日券を購入し、エスカレーターで特別展会場へ。

まず<a href="http://tobiu.me/archives/20081007-1.html" target="_parent">観世音寺の梵鐘</a>と<a href="http://tobiu.me/archives/20081107-1.html" target="_parent">荏柄天神の雲中天神像</a>を見たら、
人の多いエリアを抜け、そのまま一気に第4室へ。
<a href="http://tobiu.me/archives/20081019-1.html" target="_parent">天神画像</a>・<a href="http://tobiu.me/archives/20081025-1.html" target="_parent">道明寺の十一面観音</a>、御自作天満宮の天神座像や大興善寺の十一面観音、
渡唐天神像と、ひととおりじっくり眺めます。

そして歌舞伎や連歌に特別な関心のない限り、第5室はさらっと流しましょう。
芝居絵でもそんなにインパクトのあるものは出ていませんし、
文楽人形も普段から北野天満宮の宝物殿に展示されています。

この後第3室に戻り、<a href="http://tobiu.me/archives/20081031-1.html" target="_parent">扇面屏風</a>と掛幅を見ます。
天神縁起の全体像を知らないと到底読み解けないので、見るだけで大丈夫です。

VTRは好きに応じて、または休憩目的で。
知人は元のテレビ番組を見ていたので、省略しました。

仲間同士で茶々を入れて楽しみたいなら、その足で隣接する<a href="http://tobiu.me/archives/20081030-1.html" target="_parent">天神さま研究所</a>へ。
貼り出されている紙を読み出すと際限がないので、軽く眺めるだけにとどめ、
パソコンの上のホワイトボードや本棚等、web上では見られないものを見ておきます。

ここまで来て、いよいよ本題です。第1室に戻りましょう。
<a href="http://tobiu.me/archives/20080928-1.html" target="_parent">菅家文草</a>・<a href="http://tobiu.me/archives/20081120-1.html" target="_parent">菅家後集</a>・<a href="http://tobiu.me/archives/20081222-1.html" target="_parent">新撰万葉集</a>・<a href="http://tobiu.me/archives/20081024-1.html" target="_parent">和漢朗詠集</a>を見ておきます。
基本的に文字（特に漢字）ばかりなので、予備知識がないと辛いかもしれません。

そしてお待ちかね、天神縁起絵巻尽くしの第2室です。
ガラスケース越しに<a href="http://tobiu.me/archives/20081009-1.html" target="_parent">硯</a>・<a href="http://tobiu.me/archives/20081023-1.html" target="_parent">革帯</a>・笏（しゃく）・櫛・鏡といった遺品類を見ながら、
人が少なくなった頃合いを計り、行列に加わります。

<a href="http://tobiu.me/archives/20081122-1.html" target="_parent">承久本</a>・<a href="http://tobiu.me/archives/20081114-1.html" target="_parent">メトロポリタン本</a>・<a href="http://tobiu.me/archives/20081108-1.html" target="_parent">松崎本</a>の3つを見ておきましょう。
非常に長々と展示されています。

これで一通り見終えた格好になります。
残りの時間を利用し、もう一度見ておきたいものにじっくり向き合いましょう。

最後に、博物館や美術館で使いたい、ちょっとしたテクニックを。
通常、閉館の30分前に入場受付が閉まります。
そのため、数分後には最初の方の部屋ががら空きになります。
残り時間が少ないので、どうしても見たいもの以外を先に見ておく必要はありますが、
絶えず行列のできていた承久本も、恐ろしくスムーズに見られますよ。

<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
特別展の会場は、現在このような順番で構成されています。<br /><br />　・エントランス　…観世音寺梵鐘・荏柄天神の雲中天神像<br />　・第1室　…平安時代に関する文字史料<br />　・第2室　…承久本・メトロポリタン本・松崎本などの天神縁起絵巻と遺品類<br />　・VTRコーナー<br />　・天神さま研究所<br />　・第3室　…天神縁起の絵巻・屏風・掛幅<br />　・第4室　…天神像・渡唐天神像・観音像・仏塔<br />　・第5室　…お祭りで使っていた獅子頭や面・連歌懐紙・文楽人形・浮世絵<br />　・第6室　…神輿<br /><br />一番混雑するのは、展示の目玉となる絵巻が揃っている第2室です。<br />ここから見ようとすると、<br />朝9時30分の開館に合わせて入らない限り、行列になるでしょう。<br /><br />そこで午後から入館した場合の効率的なモデルコースを紹介します。<br />特別展に行っていなかった地元の知人を案内するために<br />会場内で即座に考えたものですので、実証済みです。<br /><br />まず手荷物は、鉛筆とメモ帳程度を残し、1階のコインロッカーに入れます。<br />衣類だけでしたら1階のクロークに預けます。<br />必要に応じて当日券を購入し、エスカレーターで特別展会場へ。<br /><br />まず<a href="http://tobiu.me/archives/20081007-1.html" target="_parent">観世音寺の梵鐘</a>と<a href="http://tobiu.me/archives/20081107-1.html" target="_parent">荏柄天神の雲中天神像</a>を見たら、<br />人の多いエリアを抜け、そのまま一気に第4室へ。<br /><a href="http://tobiu.me/archives/20081019-1.html" target="_parent">天神画像</a>・<a href="http://tobiu.me/archives/20081025-1.html" target="_parent">道明寺の十一面観音</a>、御自作天満宮の天神座像や大興善寺の十一面観音、<br />渡唐天神像と、ひととおりじっくり眺めます。<br /><br />そして歌舞伎や連歌に特別な関心のない限り、第5室はさらっと流しましょう。<br />芝居絵でもそんなにインパクトのあるものは出ていませんし、<br />文楽人形も普段から北野天満宮の宝物殿に展示されています。<br /><br />この後第3室に戻り、<a href="http://tobiu.me/archives/20081031-1.html" target="_parent">扇面屏風</a>と掛幅を見ます。<br />天神縁起の全体像を知らないと到底読み解けないので、見るだけで大丈夫です。<br /><br />VTRは好きに応じて、または休憩目的で。<br />知人は元のテレビ番組を見ていたので、省略しました。<br /><br />仲間同士で茶々を入れて楽しみたいなら、その足で隣接する<a href="http://tobiu.me/archives/20081030-1.html" target="_parent">天神さま研究所</a>へ。<br />貼り出されている紙を読み出すと際限がないので、軽く眺めるだけにとどめ、<br />パソコンの上のホワイトボードや本棚等、web上では見られないものを見ておきます。<br /><br />ここまで来て、いよいよ本題です。第1室に戻りましょう。<br /><a href="http://tobiu.me/archives/20080928-1.html" target="_parent">菅家文草</a>・<a href="http://tobiu.me/archives/20081120-1.html" target="_parent">菅家後集</a>・<a href="http://tobiu.me/archives/20081222-1.html" target="_parent">新撰万葉集</a>・<a href="http://tobiu.me/archives/20081024-1.html" target="_parent">和漢朗詠集</a>を見ておきます。<br />基本的に文字（特に漢字）ばかりなので、予備知識がないと辛いかもしれません。<br /><br />そしてお待ちかね、天神縁起絵巻尽くしの第2室です。<br />ガラスケース越しに<a href="http://tobiu.me/archives/20081009-1.html" target="_parent">硯</a>・<a href="http://tobiu.me/archives/20081023-1.html" target="_parent">革帯</a>・笏（しゃく）・櫛・鏡といった遺品類を見ながら、<br />人が少なくなった頃合いを計り、行列に加わります。<br /><br /><a href="http://tobiu.me/archives/20081122-1.html" target="_parent">承久本</a>・<a href="http://tobiu.me/archives/20081114-1.html" target="_parent">メトロポリタン本</a>・<a href="http://tobiu.me/archives/20081108-1.html" target="_parent">松崎本</a>の3つを見ておきましょう。<br />非常に長々と展示されています。<br /><br />これで一通り見終えた格好になります。<br />残りの時間を利用し、もう一度見ておきたいものにじっくり向き合いましょう。<br /><br />最後に、博物館や美術館で使いたい、ちょっとしたテクニックを。<br />通常、閉館の30分前に入場受付が閉まります。<br />そのため、数分後には最初の方の部屋ががら空きになります。<br />残り時間が少ないので、どうしても見たいもの以外を先に見ておく必要はありますが、<br />絶えず行列のできていた承久本も、恐ろしくスムーズに見られますよ。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>特別展情報</category>
      <author>Michiza.net</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://blog.tobiu.me/article/110246592.html</link>
      <title>道真展の歩き方（1）</title>
      <pubDate>Wed, 26 Nov 2008 00:39:18 +0900</pubDate>
            <description>11/22～24の3連休は1日数千人が来場したそうで、26日に15万人を突破したとの話。最終的には16～17万人になる見込みです。見事に大盛況に終わりそうです。しかしその反面、会場は少なからず混雑しています。そこで今日から2日連続でお送りするのは、「会期終了間際における道真展の歩き方」。まず事前に用意して頂きたいのが、作品目録と充分な時間。もともと作品目録は会場内に山積みになっていましたが、見事にはけてしまいました。そこで九博のサイトでPDF版目録を印刷しておきましょう。ノン..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
11/22～24の3連休は1日数千人が来場したそうで、26日に15万人を突破したとの話。
最終的には16～17万人になる見込みです。見事に大盛況に終わりそうです。

しかしその反面、会場は少なからず混雑しています。
そこで今日から2日連続でお送りするのは、「会期終了間際における道真展の歩き方」。

まず事前に用意して頂きたいのが、作品目録と充分な時間。

もともと作品目録は会場内に山積みになっていましたが、見事にはけてしまいました。
そこで九博のサイトで<a href="http://www.kyuhaku.com/pr/exhibition/images/s_13/exhibition_s13.pdf" target="_blank">PDF版目録</a>を印刷しておきましょう。
ノンブルを見ると10ページあるように見えますが、実際は5ページです。
途中で切れているわけではありませんので、ご安心を。

ちなみに紙版ではデザインが異なり、4ページで構成されています。
最初のページは表紙なので、目録部分は実質3ページです。

<img src="http://michiza.net/zbg/pbmmkr.jpg" alt="&#x7D19;&#x306E;&#x4F5C;&#x54C1;&#x76EE;&#x9332;" width="450" height="300">

そして観覧に要する時間ですが、

　・特別展のみ　　…　2時間（混んでいなくても1時間では厳しいと思います）
　・常設展も見る　…＋1時間（再訪やピンポイントの場合。腰を据えるなら2時間）
　・売店やあじっぱにも寄る　　　…＋0.5～1時間
　・グリーンハウスで食事　　　　…＋1.5時間（昼食時は満席になります）
　・太宰府天満宮にもお参り　　　…＋0.5～1時間（普通は寄りますよね？）
　・太宰府天満宮の宝物殿にも寄る…＋0.5時間

と、オプションをつけることで簡単に半日、下手をすれば丸1日つぶれます。
そうなると、事前の取捨選択が非常に重要になってきます。
最低限の組み合わせは、「特別展＋天満宮（＋宝物殿）」の3～4時間コースでしょう。

明日は特別展会場内を効率的に見て回るための順番についてです。

<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
11/22～24の3連休は1日数千人が来場したそうで、26日に15万人を突破したとの話。<br />最終的には16～17万人になる見込みです。見事に大盛況に終わりそうです。<br /><br />しかしその反面、会場は少なからず混雑しています。<br />そこで今日から2日連続でお送りするのは、「会期終了間際における道真展の歩き方」。<br /><br />まず事前に用意して頂きたいのが、作品目録と充分な時間。<br /><br />もともと作品目録は会場内に山積みになっていましたが、見事にはけてしまいました。<br />そこで九博のサイトで<a href="http://www.kyuhaku.com/pr/exhibition/images/s_13/exhibition_s13.pdf" target="_blank">PDF版目録</a>を印刷しておきましょう。<br />ノンブルを見ると10ページあるように見えますが、実際は5ページです。<br />途中で切れているわけではありませんので、ご安心を。<br /><br />ちなみに紙版ではデザインが異なり、4ページで構成されています。<br />最初のページは表紙なので、目録部分は実質3ページです。<br /><br /><div style="text-align:center;"><img src="http://michiza.net/zbg/pbmmkr.jpg" alt="紙の作品目録" width="450" height="300"></div><br /><br />そして観覧に要する時間ですが、<br /><br />　・特別展のみ　　…　2時間（混んでいなくても1時間では厳しいと思います）<br />　・常設展も見る　…＋1時間（再訪やピンポイントの場合。腰を据えるなら2時間）<br />　・売店やあじっぱにも寄る　　　…＋0.5～1時間<br />　・グリーンハウスで食事　　　　…＋1.5時間（昼食時は満席になります）<br />　・太宰府天満宮にもお参り　　　…＋0.5～1時間（普通は寄りますよね？）<br />　・太宰府天満宮の宝物殿にも寄る…＋0.5時間<br /><br />と、オプションをつけることで簡単に半日、下手をすれば丸1日つぶれます。<br />そうなると、事前の取捨選択が非常に重要になってきます。<br />最低限の組み合わせは、「特別展＋天満宮（＋宝物殿）」の3～4時間コースでしょう。<br /><br />明日は特別展会場内を効率的に見て回るための順番についてです。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>特別展情報</category>
      <author>Michiza.net</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://blog.tobiu.me/article/110150684.html</link>
      <title>これは必見！（その36）</title>
      <pubDate>Tue, 25 Nov 2008 06:46:48 +0900</pubDate>
            <description>37「北野天神縁起絵巻（承久本）」　（12）巻5「安楽寺葬送」「遺骨は京都に送り返さないで欲しい」という遺言に従い、道真の亡骸は大宰府の地に埋葬されることになりました。しかし途中で遺体を載せた牛車が動かなくなってしまったため、その場で荼毘に付されました。この場所が現在太宰府天満宮のある場所です。生前、いくら故郷を慕っても、異郷の地に葬られるであろうことを危惧していたはずの道真は、最期に自らその選択肢を選びました。神霊の魂を祀る場所が、同時に魄（肉体）を祀る、霊廟と仏舎利（ぶっ..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
37「北野天神縁起絵巻（承久本）」　（12）巻5「安楽寺葬送」

「遺骨は京都に送り返さないで欲しい」という遺言に従い、
道真の亡骸は大宰府の地に埋葬されることになりました。
しかし途中で遺体を載せた牛車が動かなくなってしまったため、
その場で荼毘に付されました。この場所が現在太宰府天満宮のある場所です。

生前、いくら故郷を慕っても、異郷の地に葬られるであろうことを
危惧していたはずの道真は、最期に自らその選択肢を選びました。

<img src="http://michiza.net/zbg/pbmdazb.jpg" alt="&#x592A;&#x5BB0;&#x5E9C;&#x5929;&#x6E80;&#x5BAE;&#x672C;&#x6BBF;&#x88CF;&#x624B;" width="450" height="330">

神霊の魂を祀る場所が、同時に魄（肉体）を祀る、
霊廟と仏舎利（ぶっしゃり・釈迦の遺骨）を合わせ持つような天満宮安楽寺の歴史は、
祭神の一言から始まったのでした。

<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<ins>37「北野天神縁起絵巻（承久本）」</ins>　（12）巻5「安楽寺葬送」<br /><br />「遺骨は京都に送り返さないで欲しい」という遺言に従い、<br />道真の亡骸は大宰府の地に埋葬されることになりました。<br />しかし途中で遺体を載せた牛車が動かなくなってしまったため、<br />その場で荼毘に付されました。この場所が現在太宰府天満宮のある場所です。<br /><br />生前、いくら故郷を慕っても、異郷の地に葬られるであろうことを<br />危惧していたはずの道真は、最期に自らその選択肢を選びました。<br /><br /><div style="text-align:center;"><img src="http://michiza.net/zbg/pbmdazb.jpg" alt="太宰府天満宮本殿裏手" width="450" height="330"></div><br /><br />神霊の魂を祀る場所が、同時に魄（肉体）を祀る、<br />霊廟と仏舎利（ぶっしゃり・釈迦の遺骨）を合わせ持つような天満宮安楽寺の歴史は、<br />祭神の一言から始まったのでした。<br /><br /><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>展示品の紹介</category>
      <author>Michiza.net</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,michizane/110150684</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://blog.tobiu.me/article/110150589.html</link>
      <title>これは必見！（その35）</title>
      <pubDate>Mon, 24 Nov 2008 02:57:19 +0900</pubDate>
            <description>37「北野天神縁起絵巻（承久本）」　（11）巻5「祈天拝山」死を目前にして紀長谷雄に詩巻を託した巻4末尾から、少し時間は遡ります。無実を天に訴えるべく、道真は大宰府郊外にある山へ登る事にしました。自らしたためた祭文（さいもん）を山頂で掲げ、一心不乱に祈りを捧げていると、祭文は虚空へ高く舞い上がりました。梵天（ぼんてん）と帝釈天（たいしゃくてん）が彼の願いを聞き入れたのです。天満大自在天神（てんまだいじざいてんじん）の名を与えられ、道真は生きながら神となりました。そして、この山..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
37「北野天神縁起絵巻（承久本）」　（11）巻5「祈天拝山」

死を目前にして紀長谷雄に詩巻を託した巻4末尾から、少し時間は遡ります。
無実を天に訴えるべく、道真は大宰府郊外にある山へ登る事にしました。

自らしたためた祭文（さいもん）を山頂で掲げ、一心不乱に祈りを捧げていると、
祭文は虚空へ高く舞い上がりました。
梵天（ぼんてん）と帝釈天（たいしゃくてん）が彼の願いを聞き入れたのです。

天満大自在天神（てんまだいじざいてんじん）の名を与えられ、
道真は生きながら神となりました。
そして、この山は後に天拝山（てんぱいざん）と呼ばれるようになりました。

<img src="http://michiza.net/zbg/pbqjoq8.jpg" alt="&#x7948;&#x5929;&#x62DD;&#x5C71;" width="450" height="300">
（写真提供：九州国立博物館）

「軟禁状態に置かれた病弱の老人」という背景により、
この話はあくまでもフィクションたりえます。
しかし、道真の死後2世紀後にはすでに存在した話であったらしく、
院政期の学者・大江匡房（おおえのまさふさ）の
言談録『江談抄（ごうだんしょう）』に触れられています。

匡房は大宰権帥（高官の左遷用ポストではなく、実際に職務を遂行する権帥）として
現地に赴任した経験があり、詩文を読むと、
他にも天神縁起の母体となる話をいくつか知っていた事が伺えます。

ところが、その彼をしても、
現代日本人にとって最も有名なはずの飛梅の話は語られていないのです。
匡房より後に成立した天神縁起の、さらに後で生まれた話だから当然ではありますね。

<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
<ins>37「北野天神縁起絵巻（承久本）」</ins>　（11）巻5「祈天拝山」<br /><br />死を目前にして紀長谷雄に詩巻を託した巻4末尾から、少し時間は遡ります。<br />無実を天に訴えるべく、道真は大宰府郊外にある山へ登る事にしました。<br /><br />自らしたためた祭文（さいもん）を山頂で掲げ、一心不乱に祈りを捧げていると、<br />祭文は虚空へ高く舞い上がりました。<br />梵天（ぼんてん）と帝釈天（たいしゃくてん）が彼の願いを聞き入れたのです。<br /><br />天満大自在天神（てんまだいじざいてんじん）の名を与えられ、<br />道真は生きながら神となりました。<br />そして、この山は後に天拝山（てんぱいざん）と呼ばれるようになりました。<br /><br /><div style="text-align:center;"><img src="http://michiza.net/zbg/pbqjoq8.jpg" alt="祈天拝山" width="450" height="300"></div><br /><div style="text-align:right;">（写真提供：九州国立博物館）</div><br /><br />「軟禁状態に置かれた病弱の老人」という背景により、<br />この話はあくまでもフィクションたりえます。<br />しかし、道真の死後2世紀後にはすでに存在した話であったらしく、<br />院政期の学者・大江匡房（おおえのまさふさ）の<br />言談録『江談抄（ごうだんしょう）』に触れられています。<br /><br />匡房は大宰権帥（高官の左遷用ポストではなく、実際に職務を遂行する権帥）として<br />現地に赴任した経験があり、詩文を読むと、<br />他にも天神縁起の母体となる話をいくつか知っていた事が伺えます。<br /><br />ところが、その彼をしても、<br />現代日本人にとって最も有名なはずの飛梅の話は語られていないのです。<br />匡房より後に成立した天神縁起の、さらに後で生まれた話だから当然ではありますね。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>展示品の紹介</category>
      <author>Michiza.net</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://blog.tobiu.me/article/110023964.html</link>
      <title>これは必見！（その34）</title>
      <pubDate>Sun, 23 Nov 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
            <description>37「北野天神縁起絵巻（承久本）」　（10）巻3「紅梅別離」901年2月1日、道真は慌ただしく都を出立する事になりました。出発を前に、自宅の梅に惜別の情を込めてこう呼び掛けました。　　東風吹かば匂ひおこせよ梅の花　主なしとて春を忘るなこの歌に感応した梅は、やがて一夜で海を越え、大宰府に着いたとされ、現在も太宰府天満宮に咲く飛梅（とびうめ）のルーツになっています。こう書くと、「『春な忘れそ』ではないですか？」という声が必ず上がります。ただこれを説明すると長くなるので、今回は控え..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
37「北野天神縁起絵巻（承久本）」　（10）巻3「紅梅別離」

901年2月1日、道真は慌ただしく都を出立する事になりました。
出発を前に、自宅の梅に惜別の情を込めてこう呼び掛けました。

　　東風吹かば匂ひおこせよ梅の花　主なしとて春を忘るな

この歌に感応した梅は、やがて一夜で海を越え、大宰府に着いたとされ、
現在も太宰府天満宮に咲く飛梅（とびうめ）のルーツになっています。

こう書くと、「『春な忘れそ』ではないですか？」という声が必ず上がります。
ただこれを説明すると長くなるので、今回は控えたいと思います。
一言で書けば「とりあえず『拾遺集』を見て下さい」となりますね。

<a></a>

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<ins>37「北野天神縁起絵巻（承久本）」</ins>　（10）巻3「紅梅別離」<br /><br />901年2月1日、道真は慌ただしく都を出立する事になりました。<br />出発を前に、自宅の梅に惜別の情を込めてこう呼び掛けました。<br /><br />　　東風吹かば匂ひおこせよ梅の花　主なしとて春を忘るな<br /><br />この歌に感応した梅は、やがて一夜で海を越え、大宰府に着いたとされ、<br />現在も太宰府天満宮に咲く飛梅（とびうめ）のルーツになっています。<br /><br />こう書くと、「『春な忘れそ』ではないですか？」という声が必ず上がります。<br />ただこれを説明すると長くなるので、今回は控えたいと思います。<br />一言で書けば「とりあえず『拾遺集』を見て下さい」となりますね。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>展示品の紹介</category>
      <author>Michiza.net</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,michizane/110023964</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://blog.tobiu.me/article/110023654.html</link>
      <title>これは必見！（その33）</title>
      <pubDate>Sat, 22 Nov 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
            <description>37「北野天神縁起絵巻（承久本）」　（9）巻3「法皇佇立」901年1月25日、右大臣菅原道真を大宰権帥（だざいのごんのそつ）に左降する宣命（せんみょう）が出されましたが、宇多法皇がそれを知ったのは数日後でした。醍醐天皇に翻意を促そうと、法皇は慌てて内裏に駆けつけます。しかし厳戒態勢の宮中には、どうしても立ち入る事ができませんでした。木のかたわらでなすすべもなく立ち尽くす法皇。その前にひれ伏すのは、蔵人頭（くろうどのとう）藤原菅根（すがね）です。彼は道真の弟子ですが、天皇の即位..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
37「北野天神縁起絵巻（承久本）」　（9）巻3「法皇佇立」

901年1月25日、右大臣菅原道真を大宰権帥（だざいのごんのそつ）に左降する
宣命（せんみょう）が出されましたが、宇多法皇がそれを知ったのは数日後でした。

醍醐天皇に翻意を促そうと、法皇は慌てて内裏に駆けつけます。
しかし厳戒態勢の宮中には、どうしても立ち入る事ができませんでした。

木のかたわらでなすすべもなく立ち尽くす法皇。
その前にひれ伏すのは、蔵人頭（くろうどのとう）藤原菅根（すがね）です。

彼は道真の弟子ですが、天皇の即位前からの側近でもあり、
忠実な官房長官として職務をまっとうする道を選びました。
この直後、法皇の参内を妨げたとして、大宰府に左遷されますが、
あくまで形式上の措置であり、すぐ京官に復帰しています。

<a></a>

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<ins>37「北野天神縁起絵巻（承久本）」</ins>　（9）巻3「法皇佇立」<br /><br />901年1月25日、右大臣菅原道真を大宰権帥（だざいのごんのそつ）に左降する<br />宣命（せんみょう）が出されましたが、宇多法皇がそれを知ったのは数日後でした。<br /><br />醍醐天皇に翻意を促そうと、法皇は慌てて内裏に駆けつけます。<br />しかし厳戒態勢の宮中には、どうしても立ち入る事ができませんでした。<br /><br />木のかたわらでなすすべもなく立ち尽くす法皇。<br />その前にひれ伏すのは、蔵人頭（くろうどのとう）藤原菅根（すがね）です。<br /><br />彼は道真の弟子ですが、天皇の即位前からの側近でもあり、<br />忠実な官房長官として職務をまっとうする道を選びました。<br />この直後、法皇の参内を妨げたとして、大宰府に左遷されますが、<br />あくまで形式上の措置であり、すぐ京官に復帰しています。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>展示品の紹介</category>
      <author>Michiza.net</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,michizane/110023654</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://blog.tobiu.me/article/110023624.html</link>
      <title>これは必見！（その32）</title>
      <pubDate>Fri, 21 Nov 2008 10:25:11 +0900</pubDate>
            <description>37「北野天神縁起絵巻（承久本）」　（8）巻3「行幸密議」会期後半に展示されるのは巻3と巻5。今回から順番にあらすじを書いてゆきます。醍醐天皇は父宇多法皇の御所を訪れ、両者の間で極秘会議が開かれました。その結果、呼び出されたのは左大臣藤原時平ではなく、右大臣菅原道真。「そなたを関白に任じようと思う」。この言葉に道真は驚愕し、ただひたすら固辞するばかりでした。呼ばれた口実を作るため、道真は詩の題を賜ってから公卿の控え室に戻りましたが、自分を差し置いて呼び出された事に対し、時平は..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
37「北野天神縁起絵巻（承久本）」　（8）巻3「行幸密議」

会期後半に展示されるのは巻3と巻5。今回から順番にあらすじを書いてゆきます。

醍醐天皇は父宇多法皇の御所を訪れ、両者の間で極秘会議が開かれました。
その結果、呼び出されたのは左大臣藤原時平ではなく、右大臣菅原道真。

「そなたを関白に任じようと思う」。

この言葉に道真は驚愕し、ただひたすら固辞するばかりでした。

呼ばれた口実を作るため、道真は詩の題を賜ってから公卿の控え室に戻りましたが、
自分を差し置いて呼び出された事に対し、時平は不満の色を隠せませんでした。

<img src="http://michiza.net/zbg/pbqjoq6.jpg" alt="&#x884C;&#x5E78;&#x5BC6;&#x8B70;" width="450" height="300">
（写真提供：九州国立博物館）

道真を関白に任じようとしたが、未遂に終わったという話は、
安楽寺の巫女の託宣に出てきますが、真偽の程は定かではありません。

ただ、<a href="http://tobiu.me/archives/20081104-1.html" target="_parent">「寛平御遺誡」の内容</a>でも分かるように、宇多院と道真の君臣関係は、
あまりに親密すぎて周囲の邪推を買う余地があったのは事実です。

展示部分は行列に従う人々の姿が延々と続きますが、本題は左端にちょっとだけ。
室内に座す天皇と法皇の前に、平伏する正装の道真。

この無意味なまでの冗長さが、承久本の特色でもあります。

<a></a>

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<ins>37「北野天神縁起絵巻（承久本）」</ins>　（8）巻3「行幸密議」<br /><br />会期後半に展示されるのは巻3と巻5。今回から順番にあらすじを書いてゆきます。<br /><br />醍醐天皇は父宇多法皇の御所を訪れ、両者の間で極秘会議が開かれました。<br />その結果、呼び出されたのは左大臣藤原時平ではなく、右大臣菅原道真。<br /><br />「そなたを関白に任じようと思う」。<br /><br />この言葉に道真は驚愕し、ただひたすら固辞するばかりでした。<br /><br />呼ばれた口実を作るため、道真は詩の題を賜ってから公卿の控え室に戻りましたが、<br />自分を差し置いて呼び出された事に対し、時平は不満の色を隠せませんでした。<br /><br /><div style="text-align:center;"><img src="http://michiza.net/zbg/pbqjoq6.jpg" alt="行幸密議" width="450" height="300"></div><br /><div style="text-align:right;">（写真提供：九州国立博物館）</div><br /><br />道真を関白に任じようとしたが、未遂に終わったという話は、<br />安楽寺の巫女の託宣に出てきますが、真偽の程は定かではありません。<br /><br />ただ、<a href="http://tobiu.me/archives/20081104-1.html" target="_parent">「寛平御遺誡」の内容</a>でも分かるように、宇多院と道真の君臣関係は、<br />あまりに親密すぎて周囲の邪推を買う余地があったのは事実です。<br /><br />展示部分は行列に従う人々の姿が延々と続きますが、本題は左端にちょっとだけ。<br />室内に座す天皇と法皇の前に、平伏する正装の道真。<br /><br />この無意味なまでの冗長さが、承久本の特色でもあります。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>展示品の紹介</category>
      <author>Michiza.net</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://blog.tobiu.me/article/109922644.html</link>
      <title>これは必見！（その31）</title>
      <pubDate>Thu, 20 Nov 2008 03:33:02 +0900</pubDate>
            <description>18「菅家後集（かんかこうしゅう）」大宰府時代の作品を中心とした道真の漢詩集です。全1巻。道真の作品を読む場合、この作品集、とりわけ「九月十日」あたりから入るケースが多いと思います。しかし江戸時代においては、なかなか活字化されなかった事もあり、知識人にとって「名前は知っているが実際に見た事はない」古典でした。（それどころか、現代では「名前も知らない」古典ですね……。）今回展示されるのは尊経閣文庫が所蔵する、前田家甲本と呼ばれる写本。現存する後集の中で最も良いものとされ、日本古..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
18「菅家後集（かんかこうしゅう）」

大宰府時代の作品を中心とした道真の漢詩集です。全1巻。

道真の作品を読む場合、この作品集、
とりわけ「九月十日」あたりから入るケースが多いと思います。
しかし江戸時代においては、なかなか活字化されなかった事もあり、
知識人にとって「名前は知っているが実際に見た事はない」古典でした。
（それどころか、現代では「名前も知らない」古典ですね……。）

今回展示されるのは尊経閣文庫が所蔵する、前田家甲本と呼ばれる写本。
現存する後集の中で最も良いものとされ、
日本古典文学大系（岩波書店）の底本にも用いられています。

その奥書によれば、もともとの題は『西府新詩（さいふしんし）』でした。
西府とは平安京のはるか西に位置する大宰府のこと。
臨終を前に、大宰府で作った漢詩のうち、
「自詠」から「謫居春雪」までの39首を一巻にまとめ、
都にいた紀長谷雄（きのはせお）へ送ったものです。
長谷雄は異郷に果てた才能を惜しみ、後世にもその名が残るだろうと評しました。

その後、冒頭部に右大臣時代の詩を増補したのが、現在の『菅家後集』です。
道真自身が命名した『菅家文草（かんかぶんそう）』と
対比して名付けられたのでしょう。

最後に手元に残されたもの＝漢詩と孤独に向き合った記録なので、
人によっては「消極的」「情けない」という印象を受けるかもしれません。
でも、自分の傷をえぐるような事はなかなか書けないんですよね、普通。

「私はここにいる」。その響きにちょっと寄り添ってみるのも良いものですよ。

<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<ins>18「菅家後集（かんかこうしゅう）」</ins><br /><br />大宰府時代の作品を中心とした道真の漢詩集です。全1巻。<br /><br />道真の作品を読む場合、この作品集、<br />とりわけ「九月十日」あたりから入るケースが多いと思います。<br />しかし江戸時代においては、なかなか活字化されなかった事もあり、<br />知識人にとって「名前は知っているが実際に見た事はない」古典でした。<br />（それどころか、現代では「名前も知らない」古典ですね……。）<br /><br />今回展示されるのは尊経閣文庫が所蔵する、前田家甲本と呼ばれる写本。<br />現存する後集の中で最も良いものとされ、<br />日本古典文学大系（岩波書店）の底本にも用いられています。<br /><br />その奥書によれば、もともとの題は『西府新詩（さいふしんし）』でした。<br />西府とは平安京のはるか西に位置する大宰府のこと。<br />臨終を前に、大宰府で作った漢詩のうち、<br />「自詠」から「謫居春雪」までの39首を一巻にまとめ、<br />都にいた紀長谷雄（きのはせお）へ送ったものです。<br />長谷雄は異郷に果てた才能を惜しみ、後世にもその名が残るだろうと評しました。<br /><br />その後、冒頭部に右大臣時代の詩を増補したのが、現在の『菅家後集』です。<br />道真自身が命名した『菅家文草（かんかぶんそう）』と<br />対比して名付けられたのでしょう。<br /><br />最後に手元に残されたもの＝漢詩と孤独に向き合った記録なので、<br />人によっては「消極的」「情けない」という印象を受けるかもしれません。<br />でも、自分の傷をえぐるような事はなかなか書けないんですよね、普通。<br /><br />「私はここにいる」。その響きにちょっと寄り添ってみるのも良いものですよ。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>展示品の紹介</category>
      <author>Michiza.net</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://blog.tobiu.me/article/109646686.html</link>
      <title>これは必見！（その30）</title>
      <pubDate>Fri, 14 Nov 2008 07:53:48 +0900</pubDate>
            <description>39「メトロポリタン本 北野天神縁起絵巻』　（2）アメリカ・メトロポリタン美術館蔵の天神縁起絵巻より、異界巡歴譚の続きです。太政威徳天（道真）に会った際、道賢（どうけん）は「日蔵（にちぞう）」という名前を与えられます。その後仏教世界を巡り、地獄の入口にたどり着きます。（写真提供：九州国立博物館）燃えさかる業火を前に、茶色の着物を着て合掌している山伏が日蔵。頭や尾がいくつもある巨大な動物は、地獄の門番です。さて、その地獄には出家したはずの醍醐天皇が堕ちていました。衣装はいちおう..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
39「メトロポリタン本 北野天神縁起絵巻』　（2）

アメリカ・メトロポリタン美術館蔵の天神縁起絵巻より、異界巡歴譚の続きです。

太政威徳天（道真）に会った際、
道賢（どうけん）は「日蔵（にちぞう）」という名前を与えられます。
その後仏教世界を巡り、地獄の入口にたどり着きます。

<img src="http://michiza.net/zbg/pbqmet2.jpg" alt="&#x30E1;&#x30C8;&#x30ED;&#x30DD;&#x30EA;&#x30BF;&#x30F3;&#x672C;" width="450" height="300">
（写真提供：九州国立博物館）

燃えさかる業火を前に、茶色の着物を着て合掌している山伏が日蔵。
頭や尾がいくつもある巨大な動物は、地獄の門番です。

さて、その地獄には出家したはずの醍醐天皇が堕ちていました。
衣装はいちおう身につけていますが、頭には何もかぶっていません。
頭にカブリモノをせず、もとどりを人目にさらすことは、
平安時代の貴族にとって非常に恥ずかしいことなのです。
後ろに従う3人の男性は、全裸なのか、すでに体中がすすけて誰か見当もつきません。

炎の中、醍醐天皇は日蔵に告げます。
「道真を左遷し、父親（宇多法皇）を裏切り、弟（真寂法親王＝斎世親王）との仲を
　裂いたことでこのような目に遭っている。
　どうか息子（朱雀天皇）に写経をするよう伝えてほしい」。

現世に帰った日蔵は、このメッセージを朱雀天皇に奏上したのでした。

この物語、兄弟を殺して皇帝となった唐の名君・太宗（たいそう）が、
死後地獄に堕ちたという中国の説話を元に作られた話と言われています。

<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<ins>39「メトロポリタン本 北野天神縁起絵巻』</ins>　（2）<br /><br />アメリカ・メトロポリタン美術館蔵の天神縁起絵巻より、異界巡歴譚の続きです。<br /><br />太政威徳天（道真）に会った際、<br />道賢（どうけん）は「日蔵（にちぞう）」という名前を与えられます。<br />その後仏教世界を巡り、地獄の入口にたどり着きます。<br /><br /><div style="text-align:center;"><img src="http://michiza.net/zbg/pbqmet2.jpg" alt="メトロポリタン本" width="450" height="300"></div><br /><div style="text-align:right;">（写真提供：九州国立博物館）</div><br /><br />燃えさかる業火を前に、茶色の着物を着て合掌している山伏が日蔵。<br />頭や尾がいくつもある巨大な動物は、地獄の門番です。<br /><br />さて、その地獄には出家したはずの醍醐天皇が堕ちていました。<br />衣装はいちおう身につけていますが、頭には何もかぶっていません。<br />頭にカブリモノをせず、もとどりを人目にさらすことは、<br />平安時代の貴族にとって非常に恥ずかしいことなのです。<br />後ろに従う3人の男性は、全裸なのか、すでに体中がすすけて誰か見当もつきません。<br /><br />炎の中、醍醐天皇は日蔵に告げます。<br />「道真を左遷し、父親（宇多法皇）を裏切り、弟（真寂法親王＝斎世親王）との仲を<br />　裂いたことでこのような目に遭っている。<br />　どうか息子（朱雀天皇）に写経をするよう伝えてほしい」。<br /><br />現世に帰った日蔵は、このメッセージを朱雀天皇に奏上したのでした。<br /><br />この物語、兄弟を殺して皇帝となった唐の名君・太宗（たいそう）が、<br />死後地獄に堕ちたという中国の説話を元に作られた話と言われています。<br /><br /><a name="more"></a>

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      <author>Michiza.net</author>
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